【記事】エッセイ一覧
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昭和51年(1976)
ロッキード事件に揺れたこの年、国民の間に政治不信は強く広がり、クリーンを標傍の三木内閣の支持率も大幅低下。五つ子誕生と植村直己の北極圏12000メートルを犬ぞりで単独踏破の快挙だけが明るい話題の年だった。 -
昭和30年(1955)
4月、アジア諸国会議とアジア・アフリカ会議が開催され、沖縄復帰などの決議と、平和を求める共同宣言が出された。後進といわれ国際政治の舞台から疎外されてきたアジア・アフリカ諸国が台頭をみせた年だった。 -
昭和9年(1934)
東郷平八郎元帥の葬儀が6月5日、日比谷公園で行われた。初の国葬だった。秋には全米野球チームが来日、ベーブ・ルース、沢村栄治らの活躍に人々は熱狂した。12月26日、日本初のプロ野球チーム「大日本東京倶楽部」が誕生した。 -
夜中に雨が降ったせいか、湿った地面には水たまりが点々とでき、朝を包む色にも冷たさが混じっていた。中学と高校の六年間毎朝走った五キロのランニングコースを、俺はパートナーと歩いている。
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旅立ち前日。六月の太陽もようやく明日を意識し始める午後の四時、俺は祖父母の家に到着した。岡山にある実家からさらに在来線で一時間半。未だに改札には駅員が立つ最寄駅から畦道を二十分ほど歩いた。
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昭和50年(1975)
完全失業者が112万、不況がしのび寄る気配の中で、全英オープン・テニスで沢松・キヨムラ組が優勝、広島カープが26年目にして初優勝の話題が人々を感動と興奮に引きこんだ。 -
昭和29年(1954)
世界的セックス・シンボル、マリリン・モンローが来日。角界からプロレスに転身した力道山の人気がプロレス・ブームをまきおこした。ビキニ海域で行ったアメリカの水爆実験は第5福竜丸の久保山さんらの死亡という悲劇を生み、強い放射能をふくむ死の灰を日本上空に降らした。 -
昭和8年(1933)
プロレタリア作家小林多喜二が逮捕され、拷問の末、虐殺された。アメリカは満州国の不承認を各国に通達、日本は軍を万里長城に進め占領。日本は国際連盟をも脱退、世界の孤児となる道を選んで行った。迫り来る暗雲を吹き払うかのように東京音頭が大流行した。 -
昭和28年(1953)
2月1日、NHKがテレビ放送をスタート、人々は街頭テレビに群がり見入った。秋には民放も放送を開始してテレビ時代の幕明けとなったこの年、吉田首相の「バカヤロー」発言で国会は解散に追いこまれ、衆参両院の総選挙が行われた。 -
昭和7年(1932)
日本の満州支配に抗して、天皇暗殺を狙った桜田門事件が起ったが、3月1日、強引に満州国建国宣言が下された。9月には正式に満州国を承認し入植者を送りこんだ。日中紛争に関し国際連盟も臨時総会を開き、まさに満州、満州で明けくれた1年だった。 -
昭和49年(1974)
前年からつづくオイルショックによる狂乱物価に庶民の怒り爆発。7月の参院選で自民党敗北し、田中角栄の金脈の追及ももち上り、田中首相辞任、「クリーン」を旗じるしの三木内閣誕生というあわただしい年末だった。 -
昭和48年(1973)
安楽死を願う老人で「ぽっくり寺」が大盛況、中央線快速電車にシルバーシートが設けられるなど高齢化社会の開始を告げたこの年、中東戦争の影響でオイル・ショック現象、洗剤やトイレットペーパーを求めて長蛇の列が出来た。 -
昭和27年(1952)
4月28日、対日講和条約が発効し、待望の独立が果たされたこの年、ラジオドラマ「君の名は」が放送開始、全国の女性ファンの心をつかみ、放送時間中は銭湯の女湯が空になるといわれた。16年ぶりにオリンピックにも参加、占領色、戦後が消えてゆきつつあった。 -
昭和47年(1972)
アジア初の開催となった札幌冬季五輪でジャンプに日本勢大活躍、横井庄一元陸軍伍長がグアム島より帰還、浅間山荘で連合赤軍の集団リンチ殺人、沖縄27年ぶりに本土復帰、田中角栄内閣が誕生し「今太閣」ブーム、パンダが中国から贈られる等々、話題の多い1年だった。 -
昭和26年(1951)
4月、解任されたマッカーサーが離日した。わいせつか芸術かを争うチャタレイ裁判が世間を賑わし、初参加のボストン・マラソンでの優勝と、ベネチア国際映画祭で黒澤明監督の「羅生門」がグランプリを受賞したニュースは人々を大いに勇気づけた。
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