詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

たか女綺譚

たか女綺譚

【第10回】別の女の話(2)

2015.08.11 | 外山一機

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 そんなことが数日続いたころでした。その日は風が強くて、日も暮れかかっておりました。今のように舗装された道路と違います、丸の内といいましても風が一薙ぎするだけで埃が非道いもので…私が目を細めて歩いておりますと、何やら道の先のほうにあの女性が立っているのです。私はあっと思いました、その途端びゅうと風が吹いて目をひどく砂埃にやられたのです。すると、ぼんやりとした視界の中で、前の方からあの方が駆け寄ってくるのがわかりました。
「大丈夫ですの」
 それはいかにも心配したような、けれどその底の方に不思議な微笑を湛えたようなお声でした。
「ええ、すみません」
 私が目をこすりこすりそう申し上げますと、
「御免あそばせね」
 そうおっしゃってから、そっと爪立ちをしたようでした。それから私の目蓋に冷たいものが触れました。微かに震え、またどこか温いようにも感じられましたけれど、それが私の目蓋を押し開くと、私の目の中の塵はそれに吸い付かれたようでした。
 そうしてその方は口元に手をあてて
「すこしお腹が空きましたわ。ご一緒しませんこと?」
と、いかにも無邪気なふうにおっしゃいました。私はあんまり唐突なお誘いに吃驚もし、またその子供みたような無邪気さと、その方の両の耳に金の飾りの光っている様子とが何か怖ろしく感じられました。すると
「ね、もう少し行くと鰻屋がございますの」
と言って、くすくすとお笑いになるのです。
 鰻屋に入るとその方は慣れたふうに「二階は空いているかしら」とおっしゃいました。店の方は一寸妙な顔をいたしましたが、私は言われるままに二階へ上ったのです。なみ子さん…ええ、その方は小田切なみ子さんとおっしゃるんです。
 鰻屋を出ると辺りはすっかり暗くなっておりました。お恥ずかしい話ですけれど、私、何かを入れますとひどくお腹が張るたちなんです。それでその時も何だか苦しくて、お店を出てふうふうと風に吹かれておりましたら、ふいになみ子さんがどこかで休みましょうかと言いますので、私もつい、はいと答えました。そうして鰻屋へ戻って俥を呼んでいただくと、わたしはいつか、うとうとと寝入っておりました。
 私は初めてっきり三田村さんに待ちぼうけをさせられたその腹立ち紛れに私をからかったのだとばかり思っていましたけれど、今になって思えば、あの日は初めから私を誘うつもりだったんじゃないかしら…いえ本当のところは私も存じ上げませんけれども…。
 
捨乳の美しき夏はじまりぬ  たか女
夏蝶や身にやどりたる何もなし
初夏の杉戸たゝけば揺れにけり

 

2015.8.11

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