たか女綺譚
実はわたくしにはその頃、縁談が持ち上がっておりました。いえ草干とではございません。もとよりわたくしに否やのあるはずもございませんでしたが、こちらがぐずぐずしていたのでしょうか、そのうちに相手の方が別の女性と結婚してしまわれたのです。わたくしが鈍間だったために結婚話が頓挫してしまいましたのは、なにより母に大きな失望をもたらしたようでした。
それからしばらくして、草干が突然我が家を訪ねてまいりました。草干は三和土を踏むか踏まないかのうちに、「婿になりに来ました」と言いました。わたくしには何のことかわかりませんでしたが、座敷で母と草干の話しているのをそっと聞いているうちに、「あなた」というのはわたくしのことだったのかとようやく理解されました。それから祝言を挙げるまでは、全く瞬く間のことでございました。
結婚というと、何ですか、大事のように思っておりましたけれど、いざ自分の身になってみますと何ということもないようでした。結婚した時分、草干は友人の会社を手伝っていると言っておりました。それとて草干がそう言うので信じていたにすぎません。草干は三田村多一としてよりも三田村草干としての顔の方がきくようでございました。草干は我が家に住むようになりますと以前にまして句会をやりました。それが俳人として草干の人望が厚かった故か家長としての奢りだったのか、今となってはわかりません。が私の母は下宿人だったときの草干に対するのとは違って今度は草干やその仲間がどんなに騒いでも文句ひとつ言わなくなりました。ある時などは深夜に及ぶ句会が三晩続きました。わたくしはあんまり情けなくて、とうとう草干に詰め寄りました。が草干は謝るどころかわたくしの頬を打ちましたので、わたくしもかっとなりましたが、母はまるでわたくしが悪いようなことを言います。それを聞いてわたくしはむしろ清々しい気持ちにさえなりましたが、生来のわたくしの勝気な性質は草干との衝突の種となったのでございました。もっともこの一件以来、草干が夜分まで句会を開くようなことはなくなりました。
無論愉快な思い出もございます。草干は健脚が自慢でございました。休日になると草干と母とわたくしで遠足に出かけたものです。昼食を持ってちょっとした林や何かを散策するだけのことですが、普段遠出のできないわたくしや母にとってはこの上なく楽しい行事でございました。草干はそうした林や丘などで大きな石を見つけると必ずそこに座って句を詠みました。辺りの景色を凝視と見つめて、それから一気呵成に手帖に書きつけてゆくのです。わたくしや母もお付き合いで詠むのですが、草干はわたくしの句をちらと覗いては、なんだ俺のより数段上手いじゃないかなどと言ってからかったものです。
句会は相変わらず嫌でしたが、俳句を作ったり読んだりするのはだんだん好きになってゆくようでした。…句会ですか、その時分には一度も座に加えていただいたことがございません。わたくしが俳句を他人様にお見せするようになったのは、草干が亡くなってからでございますから、我が家にいらしていた方々でさえわたくしが句を詠むということをご存じなかったと思います。もっともその頃は女が俳句をやるなどというのは何か生意気なことのように思われていたくらいですから、女が男の方に交じって句会に参加するなど思いもよらないことだったのです。お酒やお食事をお出しすることはございましたけれど、あとは襖一枚隔てた隣の部屋でじっと句会の様子に耳をそばだてておりました。そうして、耳を澄ませているときばかりはまるで時を忘れてしまうのでございます。が、隣で母がうとうとしているのを見るや、草干やそのお仲間が急に憎らしくもなりました。
紐ありて結ぶほかなき秋暑かな たか女
秋雨や吊り直したる螢籠
白萩をよろこぶ母となりにけり
2015.6.23