詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

たか女綺譚

たか女綺譚

【第2回】たか女の話(2)

2015.06.16 | 外山一機

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 家に戻ってからはずいぶん我儘になってしまいまして…読み書きは近所に塾がありましたのでそこで習いました。そうしてわたくしが十七の頃、我が家に一人の青年が下宿することになりました。それこそ牛乳瓶眼鏡というのか、ひどくぶ厚い眼鏡をかけておりまして、苦学生といった風貌でございました。青年の名は木下多一といいました。これがわたくしと草干との出会いでございます。草干は甲府の生まれで、天涯孤独の人でした。当時は帝大の学生だと言っておりました。もっとも草干がそう言うのを母娘共々素直に信じていたのですから、暢気なものでございます。
 草干はその頃から俳句をやっておりました。火事で焼いてしまいましたので今手元に残ってはおりませんけれども、その頃割に有名だった俳誌に『風知草』がございましたが、そこにも名が出ていると思います。草干は『風知草』ではそれなりに名の知れた俳人だったのでしょう、よく同い年位の方々が集まってずいぶん遅くまで「や」「かな」などとやっておりましたから、あんまり喧しくて母が一度立ち退きを突きつけたこともございました。
 夜時々騒ぐのを除けば草干はいたって真面目な青年のようでした。わたくしが読書をするのを話しますと、草干は、あれは読んだか、ではこれは、などと私に聞いてはしばしば本を貸してくれました。草干のよこす本は、なかにはずいぶん卑猥なものや難しい内容のものもございましたが、兎に角本を読める嬉しさで一字一句漏らさずに読んだものでございます。草干は二年ばかり我が家におりましたが、やがて下宿先を変えました。何でももう少し自然の多いところが良いとかいうことでございました。
 が、わたくしと草干とはその後も手紙のやりとりをしておりました。皆様はこれをロマンスなどとおっしゃいますけれど、わたくしにしてみれば、ただ本の話をしていたばかりで、草干のことも兄として慕っていただけですし、皆様がもし本当のことをお知りになれば、草干とわたくしとのやりとりはひどく興を削ぐものであるに違いありません。
 わたくしが俳句に手を染めたのもこの頃のことでございます。相変わらず草干との文通が続いておりましたが、ある時草干からの手紙に、今風知草で女に俳句をやらせてみようという企てがある、ついてはあなたにも是非参加していただきたい、というようなことが書いてありました。わたくしはひどく驚きもし、また不躾な手紙に少しばかり憤慨もしましたが、今まで何度も本をお借りした義理もありますので、ほんのお義理に引き受けたのです。で、わたくしは、草干からの手紙に十句送るようにとありましたのでその通りにしました。和歌はともかく俳句など作るのは生まれて初めてでしたから、とても人にお見せできるようなものではございません。がどうかこうか拵えた十句を草干に送ったのです。どんな返事があるかと思いましたが、草干はわたくしの俳句にびっしりと朱を入れて送り返してきました。「や」の使い方がおかしいとか、この言い回しは陳腐だとか、もっと酷いのは、句の横にただ「駄作也」とだけ書かれていたのもありました。…ええ、ここにお持ちしたのですが、だいたいこんな風です。「お引き受けいただきありがたく存じます。俳句を拝見いたしました。初めてのお作とうかがいましたが、なんのなんの、予想以上の出来栄えに感服いたしました。ホトトギスのかな女、せん女、久女などと十分に比肩する能をお持ちであると確信しました。お送りいただいた句にはかなり厳しいことを書いてしまいましたが、これもあなたの筋の良さを見込んでのことです。何卒お許しください。是非風知草に投句なさい。不安ならば僕が添削してさしあげます」。
 わたくしは『ホトトギス』が俳句の雑誌であるということさえ存じあげないほどでしたから、かな女様をはじめ当時の女流のお名前など知るよしもありません。が草干がわたくしの句をひどく称讃しているらしいことだけはわかりましたので、妙な心持でした。わたくしはそれまで和歌はいくらか詠んだことがございましたけれど、まるでお話にならないようなものでしたので。ですから最初は草干が世辞でそう書いているのではないかと疑いました…いえ、今になって思えば、草干も自分から頼んだ手前、どんな下手でも一応褒めておいてやろうというほどのことだったのかもしれません。がひどく手厳しい朱の入れ方と手紙の文面との落差がかえって草干の称讃を本当めかしているように思われまして、とうとう次の手紙にも十句添えてしまったのでございます。すると草干は今度も真っ赤にして返してくるのでございます。そのくせ、あなたは格別に筋が良いなどと書いてよこすのでございました。
 
   今朝の秋夫恋ひのうた知らざりき    たか女
   落葉松や呼びなれてかなしくなりぬ
   わが胸にゑんまこほろぎ来てねむる

 

2015.6.16

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