詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

草の立つ山

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【第10回】つくつくぼうし

2015.08.15 | なみの亜子

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 お盆の帰省ラッシュが始まった、という朝のニュースにつくつくぼうしの声がかぶさる。鳴き出したか。つくつくぼうしが鳴き始めると、きまって焦る。というか、おーしつくつくと聞くと一瞬にして幼い頃の気持ちがよみがえってきて、それがほとんど手つかずの宿題や感想文、絵日記をどうしようか、という焦燥感と一体化している。それはまた、早くやっちゃわないとどうするの二学期始まっちゃうよ、という母の声を連れてくる。「~になっちゃうよ」という言い方が母だ。こう言われると、たいへん取り返しのつかないことになる、という感じが強くして、幼い私は不安になった。
 思い返せば、私の母は子どもに独特の不安感や心細さ、もの哀しさというものを抱かせる人だった。子の悪さや失敗に対しまっすぐに怒る、叱るのでなく、どうしてこの子はこんなことをしちゃうんだろう、どうしてこんな子になっちゃったんだろう、とため息をつく。お転婆だったから木登りしては果実を盗ったり落っこちたり、人ん家の池の鯉を掬って干してたり、共同浴場でながく潜水し過ぎたり。怪我や痣もしょちゅうこしらえた。母はそんなとき私を親として叱る、というより、そんなことしちゃってどうしよう…とうろたえる。ほんの出来心や悪戯心に過ぎないのだが、それが自分のルーツたる人をはげしく苦悩させ、悲嘆させる。ドヤされるよりコタえた。それで行いを正せる子なら良かったものを、私の場合はどんどん自らの行いを偽装し隠蔽する方向にいった。次第にうしろ暗い人にもなっていく。屈託する自分がしんどくて、母とはなるたけ距離を置くようになった。
 うっとうしい気持ちなしに母とつき合えるようになったのは、私が四十代になる頃。二度目の結婚からだ。相手も二度目だが、この人が母には好ましい人らしかった。いっしょに家族旅行をしたり、盆・正月の行き来を楽しんだ。その矢先、母は六十代の終わりにアルツハイマー病と診断され、八十二歳になった今年車椅子で施設に入るまで、じわりじわりと病を進行させていった。いまは大好きな父が週一回会いにいく。束の間、母のなかで少しだけ世界がくっきりする。父だけはちゃんと認識する。
 夫と娘以外に母を訪れる人はいない。母は十二人兄弟の末っ子。兄姉はもう皆亡くなった。末っ子の母が中学生のとき、母親を亡くしている。やがて教育者だった父親がやはりアルツハイマーを発症。戦後でもありいろいろ大変だったという。どういう理由か、母は高等女学校を出て勤めて結婚するまで、養子にいった兄や嫁いだ姉たちの家に引き取られていた。孫である私は一度も母方の祖父に会ったことがない。いつ死んだのか、墓や実家がどこでどうなってるのかまったく知らず、母がそこを訪れた記憶もない。寄る辺ないなあ、といまは母の身を思う。誰かの庇護を得ていなければならない、という心の働きが、何かあったときの「やっちゃったどうしよう」につながっていたのか。子である私の行為によってもろとも、親しみのなかに居させてもらえなくなるのではないか、という怖れ。どうしようどうしよう。
 先日、父と私の二人で母に会いに行った。父が売店で新聞を買ってくる、とその場を離れた。その間私といて数ばかり数えていた母が、エレベーターを降り戻ってくる父を見て、「あ、パパが来ちゃうどうしよう!」と言った。自分のいまの姿を一瞬客観視して夫に嫌悪される、とでも思ったのだろうか。だいじょぶだいじょぶ、と私は言った。つくつくぼうしが鳴いたってだいじょぶなんだから、と、これは私の心に言った。
 

2015.08.15

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