詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

草の立つ山

草の立つ山

【第15回】お天気のこと

2015.09.19 | なみの亜子

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 夕方以降山沿いでは雷雨になるところもあるでしょう、と天気予報。そうらしいで、と一応犬に伝達し定例散歩会への心づもりをしてもらう。だけど「山沿い」にもいろんな山沿いがあって、山の向きや高さや並び方で雨雲と気象の展開もずいぶん違う。マクロな予報を全面的に信じ込んで雨合羽など着込んで出ると、えらい目に遭う。蒸れ蒸れで尋常でなく大量の汗をかく。逆に着ないで出てばっちり降られると、全身バケツのなかのモップになる。いずれにしろ、山腹の家に帰り着いてからの体調がたいへんなことになる。何度もやられた。寝込んだりもした。雨くらい、風くらい、とナメてたらあかん。ただでさえ激しく変わりやすい山の天気をどう読むか。登り降りの体力にどう備えるか。山暮らしの十数年、お天気への感覚を鍛えることが自分を守るための必修科目になった。
 一番の先生は、長年この地に農を営む人たち。長いスパンで見れば、果樹の剪定や芽摘みや消毒をし、草を深く刈る浅めに刈る、野菜畑の土をすきひっくり返し植え替えたり肥えをやる、そのどれもがみんな、年々の気象の動向に合わせたタイミングでなされている。よく見れば周りの樹も草も、例えば崖側には雨風に強くよく根を張る樹を配置して土留(どど)めにするなど、実に巧みにここらの気象と地形に合わせてある。経験値が違うのだ。
 人が道や畑で出会えば、まずお天気の話をする。そのうち、あの人が言うんやから確実や、いう人が居るのがわかってくる。大先生。向かいの山が近なってきたな昼から降るで。奥の山の雲見てみあそこは雪や。今日の風の向きなら大事ないわここは凍らん。今日明日の短期的な移り変わりも、まるで自身の体調のように自然に感じ取られていて、身についているいうんはこういうことを言うんやなあ、と感心しきり。
 大雨や雪やらのおおまかな予報のもと、人々が早めに車で家に引き上げる、或いは逆に下の国道沿いに降ろして止めてくる、という動きがあれば、夜から朝にかけ車での登り降りが危険になるような天変事象が予測される。それでも備え切れないのがお天気。大雨や雪での倒木、土砂崩れ、落雷による停電、断水などはしょっちゅう起こる。たいへんやたいへんや、となるのは電力による冷暖房や水洗トイレの家で、昔ながらの家の人々は提灯や蝋燭を灯し、常備してある薪で暖をとり食を賄い、沢や雨からの取水で水を確保し、汲み取りトイレでいつも通りに用を足す。そして四駆の軽トラを連ねて水源地に入り修復する。重機、チェーンソーを持ち寄って倒木や土砂落石を片付ける。お天気には備えるだけ備えつつ、自らは自らの身を守るべくできることをする。サバイバルってなにも特別な術でなく、気象・地形との日頃からの付き合いそのものやん、などと思ったり。
 このへんにも週末ごとに人々が渓流釣りや川遊び、山歩き、山菜採りに来て、遭難したり低体温症になったり川淵に取り残されたりする。この川は夏でも深く冷たい、とか、この谷は雲が深い日は迷いやすい、とか、雨のなか行って渡れる峰じゃない、とか知らないで行くよりは知ってた方がいいな、と思う。気象・地形を「知る」とはどういうことか。その類の知覚自体が、現代の暮らしの奥底に潜ってしまっていて取り出し難いのだけれど。それでもこの頃の天気はちょっとおかしいぞ、とわが先生たちは言う。漠然とした不安がつのる。お天気のことはやっぱりわからない。

 

2015.9.19

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