【第2回】このへんの鳥 | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

草の立つ山

草の立つ山

【第2回】このへんの鳥

2015.06.20 | なみの亜子

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 六月に入る頃には、鶯がすっかり鳴きの腕をあげている。
 窓辺がうっすら白みはじめる早朝。鶯の声は息ながく山と谷をつないでは渡りつつ、しずかに靄を分けてゆく。ものの本にはホーホケキョケキョケキョケキョ…と示される谷渡りだけど、この頃にはカ行の角がとれてもっとずっとやわらか。近ければ、巧みな息継ぎや響かせ方の緩急まで聴き取れる。最後の聴かせどころ、ケキョケキョケキョ…の心地よいビヴラートはいつまでも耳の奥をふるわせてくれる。めったに姿は見られない。まれに樹の繁みからちょいとのぞく。見えた、とこっちが息を変えるやいなやすばやく飛び立ってしまって、しばらく近くには戻らない。雀よりもうんと小さくて、動きは羽をもつ虫のように俊敏だ。そのうちにまた遠くの方で鳴きはじめる。遠さを渡ってとどく声には、透明感が増している。一回一回、あるいは一羽一羽、節回しが微妙にちがう。そのことに気づいてからは、聞き分ける楽しさも加わった。
 見るたびに生命力や逞しさを感じるのが鵯。あー腹へったー、いう感じでばっさかばっさか飛んできて、樹木の花から実からせわしなく移ろい食べまくる。人が見てるくらいでは動じない。さすがに窓をあけて「わっ!」とやると、ばさっと飛び去る。じきに戻ってきては、細枝や葉っぱをにぎやかに揺らしてむさぼり、堂々と糞をする。生きるために食うって、こういうおかまいなしなところが要るんやろね。ときどき犬がひと声。ばささっ。
 日の当たる斜面いっぱいに新芽をやしなう柿畑。その樹の下にのどかに雉がいる。近づくとジャンプに毛のはえたほど低く短く飛んで、すぐに着地する。ちゃんと距離かせいだから近づかんとってよ、かな。鳴き声がケンケーンとしたら、耳を澄ます。ほらきた、ドドドドドドド。翼を身体に打ちつけて音を出す雉の「ほろ打ち」。これが好きで聞き逃したくないのだ。私の耳にはこれが、刈払い機の紐を引っ張ってエンジンをかける音に聞こえる。あったまっていないのか燃料が回ってないのか、力いっぱい引いてもかからん。そんなうちのポンコツ刈払い機とそっくり。何回もがんばれ。
 家の真下の閉校になった小学校には、毎年燕が巣を作る。多い年には、校舎の軒下がちょっとした燕マンションになる。夏のはじめ、たくさんの巣がその下にこんもりした糞の丘を作ってカラになる。近くの電線や校舎の屋根を使って、飛ぶ練習に入った子燕たち。失速したりうまくとまれなかったり。暑なってきたねえ、いう日が増える頃にはもう近くで見かけない。
 このへんの鳥ってそのへんの鳥やん。山に棲むようになってこっちが近づいただけやけど。郵便を取りに出て郭公の声を聴く。上の山林からだ。

 

2015.6.20