【検索結果】"岩井智子 "の一覧
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【第12回】第五章 アルツハイマーの彼と共に歩んだ日々 ―(2)
病気になる前の彼にとって「忘れ物をする」ということは彼の辞書にはないほどの人だった。彼にとって「忘れ物」という行為それ自体、人間としてあるまじきことなのであった。
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【第11回】第五章 アルツハイマーの彼と共に歩んだ日々 ―(1)
書斎を出た彼はトイレに入る。用をたし、水を流して出て来た。書斎に戻る。二、三分してまたトイレのドアの開く音。水を流したかどうかの確認作業のくりかえしが、延々とつづく。
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長丁場の舞台になりそうだ。いつ終るともしれない公演だ。終わりの見えない舞台、戯曲の予測がまったくつかない。誰一人、同じ場面を経験していない舞台だ。
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「先生の退職と七十歳を記念して本を出版しよう」という声が、数年前から読書会の先輩たちから上がっていた。三年後の一九九八年七十歳をめざして、着々とその計画が練られ出していた。
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MRIの写真を見せていただく。素人が見てわかるはずのない写真だが、一応説明を受ける。私にとってはどうでもよい写真だった。
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ドイツ文学の竹内康男先生とは専門を異にしながら、大学で唯一心許せる友人であった。いつの頃からか、一年に一度、二人で箱根にでかけては、二晩語り明かすのが恒例になっていた。
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われわれの結婚生活のスタートについて少し述べてみよう。そうすることで前章に述べた二つの事件の発端が見えてくると思うからである。
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私共が仲人をした一組の夫婦の話である。花婿は夫の教え子で、現在は彼と同じ大学で教えていた。我家を訪ねてこられた時、夏休み中は奥さんを通信大学の夏期スクーリングに出席させるため、三人の子供の面倒をみているのだという。
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毎年春休みの幾日かを孫を連れて名古屋の三宅さん宅を訪れ、そこを拠点に車であちこち出かけるのがわが家の恒例行事となっていた。
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アルツハイマーになる要因は、あとから考えればいくつかは考えられるが、はたしてそれが正しいかどうかは分からない。何しろ原因の分からない病気なのであるから。
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MRIも撮り終え、診察もすませた医師の最初の言葉が、実にユニークであった。
「岩井先生(彼のことを大学教授だったのでこう呼んで下さった)、脳の使い過ぎだわ。 -
癌の早期発見は現在誰もが認識していることであるが、このアルツハイマーという病もまた、早く気がつけば気がつくほど、手の打ちようもあり、病気そのものの進行をゆるやかにすることも可能なのである。
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ヘブライ語で「おはよう」の発音はボケル・トーブ。
アルツハイマーを発病した夫を伴って旅したイスラエルで、最初に出会ったヘブライ語である。