【第1回】第一章  病がやってきた ―(1) | マイナビブックス

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アルツハイマーの夫を与えられた妻の心の記録

【第1回】第一章  病がやってきた ―(1)

2016.07.29 | 岩井智子

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早期発見こそが鍵

 

 癌の早期発見は現在誰もが認識していることであるが、このアルツハイマーという病もまた、早く気がつけば気がつくほど、手の打ちようもあり、病気そのものの進行をゆるやかにすることも可能なのである。このことは患者にとっても、介護する家族にとってもやがて大変重要なことになる。

 アルツハイマーとは、人格が破壊されていく病である。患者に、でき得るかぎり人間としての尊厳を保たせ、今まで生きてきた人生を維持しながら生き得る時間を長く保つようにするには、この早期に気付くということが、患者にとっても、家族にとっても幸せにつながることになるのだ、ということを声を大にして言いたい。

 そして、日常生活においてその変化に気付いたのならまず、客観的に冷静に観察することである。

 これは単にアルツハイマーの患者に限ったことではない。アルツハイマーは年齢に関係なくやってくる。しかし、老いによる似たような症状(老人性痴呆)は、やがてわれわれにも遅かれ早かれやってくる。私の母は八十五歳を過ぎてから、変化が見られるようになった。アルツハイマーになった夫の介護経験は、母に対して早め早めの手を打たせてくれた。

 ここからは、彼のアルツハイマーにあわせて、母の老人性痴呆をものぞき見つつ書いてみたいと思う。なぜなら、介護する側からみれば同一線上に並ぶ場合が多いからである。唯一違うことは、「まだらぼけ」(老人性痴呆)のほうが、ある時期始末が悪いといえるかもしれないということである。

「ご主人より、お母様の方が大変になってくると思いますよ」と言われた主治医や福祉の方々の言葉が追い追い、いやというほど身にしみてわかる時がやってくるのではあるが。

 いずれにせよ、この早期発見こそ、患者にとっても家族にとっても、以後の生活を暗くするか、明るくするかの第一歩であることに間違いはない。

 

変化を見逃さないこと

 

 私が彼の変化に早く気付いたのには、ある体験があったからだ。

 彼が発病する二、三年前であったろうか、読書会の一員で教え子の三宅さんと、私たち夫婦は友人のお嬢さんの結婚式に出席するために車で九州へ向かった。その道中、三宅さんは何度も留守宅の奥様に電話を入れておられた。どうも岡山のお父上の様子がおかしいらしい。ご病気というわけでもなさそうだ。

「最近急に親父の性格が変わっておふくろにあたりちらしたり、猜疑心が強くなって大変らしいんです。痴呆がはじまったんでしょうかね」と言う。私の存じあげる三宅さんのお父上はおだやかな方で、倉敷のお宅にうかがうと好物のお酒を召し上がりながら備前焼でもてなしてくださった。私が器をほめると「これは使う前に水にひたすと美しさが増します。よろしかったらこれを差し上げましょう」とおっしゃる。私はお酒がさめたらお返ししなければならぬのではないか、と心配しながら頂戴したものである。こういう楽しい方であっただけに、信じがたい思いでこの話を聞いた。

 そうこうするうちに、お父上の病状は情け容赦なく進行していった。近くに住んでおられる弟さんにとって、お父上の変化・痴呆を認めることは難しく、また土地がら精神科へ連れて行くなど考えられなかったのである。やがてご家族の手に負えなくなり入院されたが、手足を縛られての生活があっという間にやってきてしまった。

 こうしたお父上の発病から亡くなられるまでの経過をその都度うかがっていたことが、私にとって主人の変化を早く気付かさせてくれる最も大きな要因となった。

 もし三宅さんのお父上のことがなかったのなら、私はこんなに早く主人を病院に連れては行かなかっただろう。なぜなら六十七歳という年齢で痴呆ということは考えもつかなかったからだ。男の更年期だろうくらいにしか、はじめは考えていなかったのだ。

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