詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

POETRY FOR YOU 2

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【第12回】図書巡礼(文月悠光)

2015.08.24 | 福間健二+文月悠光

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 部屋をかたづけるのはきらい。お母さんから「早くかたづけなさい」って急かされるのはもっときらい。でも、本棚に本を並べていくのは好き。この世で出会うことのない作家たちをとなり合わせにしてみたり、きわどいタイトルばかりならべて一息に読み上げてみたり。本にも色んなジャンルがあるらしいけど、私はそういうの気にしない。難しいとかやさしいとか、意味もいらない。今まで読んだ本の中で一番すばらしかったのは、七才のときに読んだ『はじめてのハム無線』。くだらなくて無意味なものに惹かれます。
 本を並べていくと、尻尾のようにはみ出す紐に気づくはず。青い糸や赤い糸で編まれたひも状のしおりは、ずらずらと風にそよぎます。そんな尻尾を覗かせながら、本は棚に隠れたつもりです。それはいかにも小動物的な光景でした。棚の奥に息を殺して、互いに鳴き合っています。尻尾を指でもむと、網目がほぐれてだんだんと柔らかくなる。あるとき、それはするりと指を抜け出す。本は青い尻尾のハツカネズミになって、天窓へ軽やかに駆けのぼります。
 私は本にきびしく接します。開いたまま床に伏せ、昼寝用の枕にします。お風呂で読みながら、お湯にヒタヒタ沈めます。ページの角を折ったり、乱暴な二重線を引いたりします。いじめているのではありません。本をきたえているのです。でも、最近は立派な本が減ってきたので、きたえる甲斐がありません。それでも私は本に愛を注ぎます。愛に応えて、本も熱心に語りかけてきます。手垢で曇った表紙は、本がそれだけ饒舌に語った証なのです。
 
 *
 
 これは、矢島ユキが十五歳のときに書いた文章だ。百年後、おそらくユキは今の姿では存在していない。だが、百年後もおそらく「本」は存在する。テキストデータとして、ユキの文章もどこかには残るだろう。
 百年後の人々は、ユキの文章から、本はかつてネズミの仲間であったことを知るだろう。退化していった尻尾に思いを馳せて、彼らは鏡の板と見つめ合う。お風呂に入れたり、角を折ったりすると、鏡はたちまち黙り込むので、そっと撫でて語りを促す。それを魔法だと思えたのは、文系学部が滅亡した2015年の感性である。2115年の人々は、野蛮なるネズミ図書を懐かしみ、その住処を博物館として各地に再現している。そこでは、本棚から尻尾がそよぐさまを、うっとりと眺めることができる。ネズミ図書を悼み、博物館を巡り歩くことを、人々は誇りを込めて「図書巡礼」と呼ぶ。
 

2015.8.24

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