【第5回】二年前の秋 | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

冬はつとめて

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【第5回】二年前の秋

2015.02.28 | 花山周子

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母親は、三年前の朦朧とした夏に、一人で娘を産み、その三日後、役所に赴いて、出生届と同時にひとり親の申請を済ませ、子供手当なども合わせれば毎月五万円ほどの受給を受けられることになった。半年後には娘を保育園に預けて、自給千八百円のアパレルのバイトをはじめた。続ければ正社員になれるのだ。しばらくすると無事、契約社員になり、手取り19万。しかし、ノルマとして、店員価格30%引きの洋服を月に10枚は買わされた。その他、小物も数点。ときどき、友人を家に呼び寄せて、服を捌く。その準備をするのに、二歳になった娘は床にブラウスを広げ、右の袖のほうに行ってたたみ、左の袖のほうに行ってたたみ、服の周辺をせっせと移動して上手に服をたたむのだったが、たたんだ服を重ねる段になって、崩してしまう。もういいよ、と母親は言って、さらさらと服をたたんで重ねた。新品のようなそれらの服は友人たちに喜ばれ、無事捌けるけれども、それでも服は溢れて、毎月、破棄した。他にも娘のオムツなどでゴミは大量に出るから、ゴミ出しの日には、ビニール袋を二つも三つも抱えた母親の後ろを、比較的小さく軽いゴミ袋をあてがわれた娘が、おもいね、でも、さきちゃんだいじょうぶだよ、さきちゃんおもいのもてるんだもん、と言いながらついて行く。近所のおじいさんが「えらいなあ」と目を細めるのに、母親も娘もまんざらではなかった。こんなふうにして二人の生活はそれなりに助け合いながら続いていた。母親の貯金は現在400万円。根が真面目だから、将来のことを考えて死に物狂いでため込んだ。そのうち200万円は学資保険に、他、100万円は定期貯金に入れてある。そろそろ習い事もはじめよう。英会話がいいか、ピアノ教室がいいか、算盤がいいって聞いたけれど、算盤教室なんてこの辺にあるのかスマホをしきりにいじっている。ある日、母親は突然、仕事を休んだ。母親とずっと二人でいられると思った娘は最初のうちは母親にへばりついていたが、いくら母親に食事をねだっても、母親はあーと言うだけで動いてくれない。仕方ないから、これ、よんで、と持って行った絵本を母親は受取ったまま、ぼおっとしているから、咲は、しばらくすると、その本を引き取って、ひとりで声を出して読む。「み、ん、な、で、え、ん、そ、く、」ぱら、「さあ、えんそくにしゅっぱつです。みんなちゃんとおべんとうはもったかな。」ぱら「クマさんは?もってるね、」ぱら「うさぎさんは?もってたあ!」ぱら「トラさんは、もってないねえ。忘れちゃったのかな?じゃあ、さきちゃんがもってきてあげるね」そうやって次々に暗誦した絵本を読み終えると、ぬいぐるみのペンギンを持ってきて「じゃあ、さきちゃんがよんであげるね。」とまた、一からはじめる。時間はだいぶ流れたので、再び母親のところに行って、「さきちゃんなんかたべたいなあ」と言ってみる。もう夜も遅いのだ。母親は物も言わずに立ちあがり、娘を連れて一番近いコンビニに行く。カゴを持ってポテトチップスの前に立っていると、娘の咲が商品を運んで来ては入れて行く。バナナ、牛乳、ジャムパン、トイレットペーパー、母親はそこに、適当なお菓子を三つ四つ放り込み、レジに向かう。家に帰ってくると玄関に袋を置いて母親はソファーに寝そべってしまう。咲は、袋の中からお菓子の袋を取り出して、開くと、皿にうつして母親のところに持って行く。「さあ、たべよう」と咲は言って「いる?」と首をかしげて母親に差しだすが、母親がいらないと言うので、むしゃむしゃと一人で食べて、空いた皿をつま先立ちして流しに入れる。それから、バナナを剥いて食べた彼女は母親のところに行って「さきちゃん、たべたよ!さあ、おふろにはいろう!」と言うが、母親は微動だにしない。このような何日かが経ち、咲は一人で暮らしを切り盛りしている。流しに置かれた皿は幾度も咲に取り出され、食べ終わると再び流しに戻された。溢れたゴミ袋の上からお菓子の袋を咲の小さな両手が押しつける。オマルでおしっこやうんちをしては、咲はせっせとトイレに行って、それを流し、拭きとった。浴槽の、いつのお湯だったかわからない溜まった水に、咲はお湯を継ぎ足し、そのぬるま湯を汲み出して身体を洗う。もう十月の終わりのわびしい寒さであったが、咲はその寒さを感じていない。ところどころ水をはじいて乾いたままの髪の毛に石鹸をつける。後頭部ばかりを洗って、お腹を洗って、足の裏も丁寧に洗うけれど、体の後ろは洗い残している。そのまま、プラスチックの桶を両手で持ち上げて、ようやく前髪からお湯をかけ、せっけんの残ったままの体や髪の毛を、拭けるところだけせっせと拭いて、彼女はふたたび脱ぎ棄てたパンツとパジャマを着る。さらさらだった彼女の髪はあちこちがごわごわと固まって、体もパジャマも部屋も異臭を放ちはじめている。
 

2015.2.28