冬はつとめて
徳川ビルは東京のA川沿いにある。川向いから眺めると、ボードで作った箱のよう。平行にあるべき各階の窓や軒の横軸が微妙に平行ではない。これはどういうことなのかな、と、私は、壁の一枚一枚が風に飛ばされてゆくような不安を覚える。徳川ビルの下には砂利が敷かれ自転車が5台。その脇に穴倉のように暗く狭く急な階段。私は二年後に生まれる娘を抱いてこの階段を登る。階段の手すりは捩れて錆びて、肘に擦れると痛い。じゃがいもや人参や葱や牛乳でいっぱいのビニール袋が擦れると破れる。手すりに触れぬよう、買い物袋を持って、脇にベビーカーを抱えて、抱っこ紐で娘を抱いた私は蟹のようにここを登る。最上階の四階には三つのドア。各ドアには表札もインターフォンもついていない。そのうち一つのドアの脇には椅子が置かれている。ここに、買い物袋をどさっと置いて、ドアを開けると小学校の机くらいの靴脱ぎ場がある。一歳八カ月になった娘は、ここに屈んで紺色の靴を自ら履く。左側手前からガスコンロ。調理台があって、流しでは、三歳の娘が引っ張って来た椅子に乗って蛇口をひねり、それから長いこと嗽をする。皿を洗っている私の足下では十カ月の娘が縞模様のロンパースを着てモップのように這っている。その隣の食器棚の一番下の棚から十歳の娘が十キロの米を担ぎ出す。玄関から見て右手にはドアが2枚。手前がお風呂。奥がトイレ。お風呂のドアを開けると、洗い場にはスノコが敷かれている。ここで赤ん坊の娘が湯気を立てながら横たわり、私に洗われる。浴槽には旧式の湯沸し器が付いていて、沸かす時にはゴゴゴゴと大きく唸る。風の夜、一歳の娘と私はこのゴゴゴゴを真面目に聞きながらお風呂に浸かる。トイレは、入った先で一段高くなる。和式の便座の上に様式の便座が乗っけられ、ここに五歳の娘が乗っかって、大きな声で百数える。トイレの水をじゃあと流すと、台所の流しの水は出なくなり、皿を洗っている私は流しの前で身悶える。トイレを出ると脇には一人暮らし用の冷蔵庫。二歳の娘がここからヤクルトを取り出してぐびぐびと飲む。玄関から真っ直ぐ奥には四畳半の居間。冬には炬燵が置かれている。もうすぐ三歳の娘は、朝起きると走って炬燵にもぐり込み、胡坐をかいて連続テレビ小説「マッサン」を見る。居間の右手は襖。襖に沿って立派な黒革のソファー。五歳の娘が、ここででんぐり返しを行い、炬燵でニュースを見ている私の首に落ちてくる。居間の奥、全面が窓。窓は力づくで開けないと開かない。また、力ずくで閉めるとき、こころなし、天井が持ち上がるような気がする。窓を開けると川。ああ、川向いから見えたあの窓がこの窓。川に沿って桜並木が続いているから、春には桜の名所になって観光船が川を流れて行く。右に見えますのが大正から続いておりますBホテルでございます。と、対岸のオフィスビル兼高級ホテルがメガホンで案内されるのを、生んだばかりの娘を抱いて私は見下ろす。窓は東向きなので、陽は昼までしか差さないと不動産屋に説明されたが、向かいのオフィスビル兼高級ホテルは川沿いにびっしり窓を貼り付けているので、反射光で徳川ビルの内部は終始明るい。窓から顔を出してみて、外壁と内壁のその厚みの薄いのを感じ取る。娘が泣くと、娘の泣き声は徳川ビル中に響き渡り、そして川風に乗る。
2015.1.31