【第6回】たか女の話(6) | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

たか女綺譚

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【第6回】たか女の話(6)

2015.07.14 | 外山一機

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 翌日、なみ子様はお約束通り我が家にいらっしゃいました。わたくしが草干に「お友達のなみ子さんです」と告げると草干は枕元に山と詰まれた原稿から少し目を外し、なみ子様をちらと見て何か口の中でつぶやいておりましたが、また原稿に目を戻しました。するとなみ子様は
「お仕事のお邪魔になると行けませんから、もうお暇いたしますわね」
とおっしゃって出て行こうとなさるので、わたくしは思わず後を追いました。玄関まで来ると、
「せっかくいらしていただいたのに、申し訳ございません」
「いいえ、かまいませんのよ」
 それから一息もおかずになみ子様は
「もしよろしければ家にいらっしゃいません?」
とおっしゃるのでございます。母や沙代がいるとはいえ、主人が寝たきりのところを妻のわたくしが遊びに出かけるのはいくらか良心が咎めましたが、わたくしはなみ子様をまるで無視したような草干の態度が妙に悔しく思われて、いつか「はい」と答えていたのでございます。
 沙代に「なみ子さんをお送りします」とだけ言いますと、わたくしたちは外に出ました。なみ子様の家に着くと、わたくしは洋間に通されました。わたくしは洋間に入るのは奉公していた時分以来のことでございましたので、いくらか戸惑いもしました。
「あれじゃあ大変ね」
 お茶を運んできた女中がさがるなりなみ子さんは悪戯っぽく笑いました。
「え?」
「ご主人のことよ」
 そう言ってくすくす笑うのでございます。わたくしとていつもならば何と無礼な方だろうと憤慨するところですが、口元に当てた細い白い指と長い睫毛とがお笑いになるたびに小さく揺れるのが何とも美しく、その笑い声がどこか幼い感じでしたのも、なみ子様の妖艶な感じを一層増しているようで、わたくしはただぼんやりと眺めておりました。
「なみ子さん、ご主人は」
「おりませんわ。御茶の水の女学校に通っておりました時分に本当は許婚者がいたのですけれど、私、別の男性に恋してしまったので、結局破談にしてしまったんです。」
 恋という言葉を臆面もなく使うなみ子さんに、わたくしは得体の知れない恐ろしさを感じました。
「じゃあ…その方とは」
「画家だったんです。とっても気難しくて。あるとき私がアトリエに行くと、ナイフでキャンバスを切り裂いているんです。私、無論止めに入ったのですけど、その時のはずみに腰を深く刺されたんです。おかしいようですけど、私ちっとも痛くありませんでしたのよ。何しろ刺されたことへの怒りのほうが強かったものですから。だから私、やり返してやろうと思って、腰からナイフを抜いて二、三歩その男に向かって歩いたところで、倒れてしまいましたの。脚に力が入らないんですもの。仰向けになったままナイフを振り回して、悔しい悔しいと叫んでました。そのうち騒ぎを聞きつけた女中がやって来てその場は収まったのですけど、結局傷跡は残ってしまいましたわ」
 わたくしには何だか小説みたような感じがいたしまして、嘘か真実かもわかりかねました。がいかにも少女らしいなみ子さんのそうした事件を頭の中にくっきりと思い描くことは不思議と容易いようでした。お暇をするとき、なみ子様は微笑して、お気をつけなさいね、とおっしゃいました。わたくしはどきりとし、また一方では寝たきりの草干を思い出して胸が痛くなるのでございました。
 
つまらなきをんな遊びやふくと汁  たか女
沈丁花いつしか吾を呼びにけり
実石榴を吐けるをかしき顔なりし

 

2015.7.14