【第2回】役人たち | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

やねとふね

やねとふね

【第2回】役人たち

2014.05.23 | 河野聡子

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この国では、雨の季節がちかくなると
やねを渡るふねと航路の調整が必要だ
この国の土地はまるくてたいらで、色とりどりのやねの列に覆われている
やねの列から高く突き出た箱の中に役人たちがいる
航路の調整をする役人たちだ
ときどき彼らのうちのひとりがたずねてくる
わたしの国の屋根の話を聞きたいという
わたしはうまく答えられない

むかしあるふねが起こした大きな事故を収束するために、
小役人は現地である作業の指揮をとりました。
その作業はよいと信じてなされたこと、ぜったいに
まちがっていないと思われたことでした。
ところが役所に帰ったあと、斜向かいの同僚の席からながれてくる人工的な笑みや、角を曲がったあと背後でかわされる目くばせの気配から、小役人にわかってきたのは、ぜったいという名の生き物は存在しないことと、あのとき小役人がやったことは残念ながらまちがっていたらしいということでした。それは大大役人が大役人に命令し、大役人が小役人に命令して実行されたことではありましたが、小役人自身はそれをよいことだと信じていたのでした。

訪ねてくる役人たちと、わたしはわたしの国の言葉ではなく
違う言葉で話をする。
その言葉は、この国のやねの下でほとんどの人々が使う言葉でもなく
やねのうえを渡るふねで使われる言葉だ。
わたしはこの国にくるずっと前に、ふねの言葉を習い覚えた。
なのに、ふねの言葉では、わたしはわたしの国を語ることができない。
わたしの国は**語を話す。
わたしの国の言葉を話す人にわたしはここで会ったことがない。
ふねの言葉を使うと、わたしはいまいる場所しか語れない

小役人は眠れなくなり、食欲をなくしました。とはいえしばらくするとこのまちがいはそんなにたいしたまちがいではないとわかりました。すくなくとも、最悪の場合でも、手おくれになる前に修復できるまちがいのように思えました。しかしほんとうのこたえをくれるのは時間だけでした。完璧なつもりでいた小役人の意気込みは萎えました。痛みはないけれど折に触れむずむずと存在を主張する腫れた歯ぐきのように、まちがいはながくしずかに小役人を苦しめていきました。

いま何か困ったことはありますか
とくにありません
住んでいるところはどうですか。
快適です
狭くはないですか
広くはありませんが、いらないものはなにもなく
ひとつひとつのものが大事にされています。

この苦しみのもとは、小役人がわからなかったこと、知りえなかったこと、知らなかったことが結びあいかたまりとなった呪いで、この国の役所にはおなじようなものがいたるところに落ちているのでした。呪いを拾った役人は、これをどう処理するかで、役所で生きのびていけるかどうかがきまるのでした。しかし小役人はどうやって生きのびればいいのかわかりませんでした。この呪いは、

おまえの手に余る呪いだ、
と小役人のなかでささやくものがありました
おまえにはけっしてわからないだろう、
おまえは何事も知ることができないからだ、
おまえはわからないままわからないことを忘れてしまうだろう、
もしそれができないのなら
ずっとこの痛みをもっているなら、

ある日、ふたりの役人がやってきた
ひとりは大柄で、もうひとりは小さかった。
大きい方は小さい方をふねの言葉で紹介し、
小さい方はわたしの国の言葉でわたしに話しかけ、
以来毎日、わたしのもとを訪れた。
わたしの国の言葉で、自分の話をした。

どうしてあなたの国の言葉を話せるのかを教えましょう。
そして小役人は**語の勉強をはじめたのでした。
みしらぬ国のひとびとが話すみしらぬ言葉は、すくなくとも、
知らなかった何かを知ることができるのだと、思わせてくれたからです。

2014.5.23