【第5回】古い家 | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

草の立つ山

草の立つ山

【第5回】古い家

2015.07.11 | なみの亜子

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 朝も昼もうす暗い。茅葺屋根の家のなか。窓へ窓へとまなざしが向かう。そうして窓から見る樹々の緑や山や鳥には、いつも特別なまぶしさがある。うす暗さのなかに得られる眺め。なんでもない樹や山が日々にかがやく。 古い家のなかは、何かの大きな大きな手がつくる手暗がりなのかもしれず。それはそれで、庇われているような、そっとくるんでもらってるような居心地があって、私は安心して山の向こうや鳥の行方へとまなざしを遠くし、憧れたり淋しくなったりしているのだろう。
 この茅葺屋根の家は大正時代に登記されている。今は屋根に銅板がかぶせてあってそうとわからないが、移ってきた時に土間の上の天井板をはずし、一部を吹き抜けにした。家の内側から、その古くて立派な構造を見て暮らしている。釘を一本も使わず、丸太と縄と茅だけで成立している高く大きく急な屋根。見上げるたびに、たいしたもんやなあ、思う。雨漏り一つおこさない。ながいこと囲炉裡の火で燻されてきたであろう屋根裏は、みごとな焦げ色。風の強い日や湿度の高い日には、同じ焦げ色の煤が降ってくる。流行の靴も帽子も、そこにあると不思議に煤けっちまった感じになる。
 建ち方はというとベタ基礎もへったくれもなく、山土の上に束石を置いてその上にもう柱、床板。雨の日には、床の直下を雨水が傾斜に添って流れているはず。水はけの良さ、ということが一番に考えられたのだろう。だけど水をよく含む土が家の基礎にあたるわけで、陽の差し込みのつつましい上部空間にはモイスチャーが過ぎる。降る前にもう、家中に湿った土の匂いがあがってくる。ものがみな黴びる。愛用の鞄や服がいくつダメになったことか。風の日や湿気の具合で木が伸び縮みする日には、ぎいーとかくいーとか家中でいろんな音がして妙に賑やか。軋んだり揺れたり息の合った伸縮運動をしたり。家が家自身でのしかかりくるエネルギーを逃がしこらえる。自然のふるまいにうち勝とうとするのでなく、しなやかに耐えやすく在る家。
 『三匹の子豚』では、藁の家、木の家がありがちな事象の前に潰滅する。そうそう家はやっぱ丈夫なレンガよね、と子どもの頃は簡単に読んでいたけれど、この頃少し違う。建築物を比喩とする自然<文明の物語、とか。自然物を人間の知と技術で安全快適高性能な物質へと変え利用する。子豚三兄弟は、人の暮らしの進化に大切なスピリッツを体現してたんや、と思ったり。
 今年は七月になっても雨が続く。強い雨に打たれ、樹々から実や葉が落ちる。それが雨樋を詰まらせる。ばちゃばちゃ。雨水が樋から奔放に弾みあふれて、家をいためる。またや。脚立に乗って葉を取り除く作業を繰り返す。板戸はしっとりし過ぎて締まりにくい。薄い壁には黴がドットを描く。気密性とか断熱性とか言うたらあかん。家ながらにしてオープンエアやで、そう思とこ。窓には濡れて立つ山々。長雨は身に重たいよなあ、と声をかける。

 

2015.7.11