【第14回】おなじなのに別々の家 | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

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【第14回】おなじなのに別々の家

2014.12.19 | 川口晴美

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みえない手がわたしのなかの引き出しを
無邪気なほど乱暴に引き開けるので
内側におさまっていたはずの細々とした記憶やことばが
勢いよく飛び跳ねて乱れる
毎日ハンガーに架けて制服を吊るしていた衣桁はどこかで倒れ
小さな辞書と「家庭の医学」と「婦人の手紙の書き方」くらいしか
入っていなかった扉つきの古い本棚は行方不明
かわりに微かな声が聞こえてくる
何と言っているのかは聞き取れない声が
とても近いところで
 
市営住宅は2世帯ずつが背中あわせにつながれた形だから
6畳間の壁の向こう側はよその家
戸境の壁際のいちばん端に置いてあったのが仏壇で
その横にふたつの箪笥が並んでいる
右の整理箪笥の引き出しにはあまり着られることのない母親の着物が
少し黄ばんだやわらかいたとう紙に包まれて重ねられ
上の棚の引き戸を開ければ
ネックレスとブローチをいくつか入れた母親の宝石箱がある
おもちゃめいたビーズで飾られた円筒形の平たい蓋を
たまにこっそり開けてみるのが好き
その隣には父親やわたしや弟の成績票といっしょに
大事な書類と印鑑も仕舞われているのだけれど
こうしてここに書いたってもう誰もそれを盗んだりできないから平気
左の洋服箪笥の
ちょっと軋る観音開きの扉を開けると樟脳のにおいが鼻先に漂って
父親の礼服や4人分のコートとよそゆきの服が
ひっそり揺れる
毛羽立って揺れる布たちの奥の
手をのばせば届く箪笥の後ろ側の板の
その向こうに隠れた壁のさらに向こう側でサカモトさんたちが暮らしていて
ときどき声が聞こえるのだ
年の近い姉妹が喧嘩をしてどちらかが泣き出し
大人に激しく叱責されている声
壁に隔てられたすぐ近くで別の誰かが生きているんだなあと
箪笥にもたれてぼんやりわたしは思っただけ
そんなふうに声や物音が聞こえてくるのが怖くて嫌だったのは弟で
それもまた大人になってから知ったのだった

2014.12.19