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【第8回】旅人算

2014.11.07 | 川口晴美

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姉は18年後に家を出て遠ざかっていきます
弟は姉よりも6年遅れて生まれて19年後に家を出ます
どこへ向かっているのかわかりませんが姉も弟もときどき戻ってきます
幽霊のようなものです
ふたりそれぞれの時速を求めなさい
家は追いつくでしょうか追いつくとしたらそれはどの時点でしょうか
そのとき家は時速何mで遠ざかっていますか
 
玄関で音がしたから
見に戻ったけれど誰もいない
弟が帰ってくるとしたらそれは弟の記憶のなかの家で
ここではないのだろう
わたしは玄関廊下をそのまま進んでトイレのドアの前に立つ
この間取りはずっと疑問だった
玄関で母が客に応対している間はトイレに入りづらいし
トイレに入っている間に来客があると出て行くのが気まずい
でも、今は誰も来ないから
鈍い金色の取っ手を引いて木のドアを開く
入って正面に男性用便器
すぐ右にもうひとつドアがあってその奥に和式便器
どちらにも小さな窓があって外が見えた
夜にトイレに入るとおばけみたいな何かがそこに
あらわれそうで怖くてわざとそのことばかり考えながら窓の外を見ていた
昼間はあかるい山沿いの小道と
隣の家の庭が見える
庭に鉄棒があった
そこに住んでいた兄弟の弟のほうはわたしと同じ年
逆上がりを教えてくれて
歩くのも走るのも遅いわたしを道の端でよく待っていてくれて
小学校4年生のときに引っ越していったワタルくんの時速は何mでしょう
それきり会ったことはなく
戻ってくることもありませんから
今も9歳のときの姿のままワタルくんはハルミさんの隣の家にいます
そう、あのあと引っ越してきた家族のお姉さんが弾いていたピアノの音を
記憶のなかで聞いたことはない
だからさっき聞こえたのは
体操の得意な彼が庭の鉄棒でくるくると前回りをする音だったにちがいない
旅人算はとてもむずかしい


2014.11.7

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