【第7回】押入れのなか | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

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【第7回】押入れのなか

2014.10.31 | 川口晴美

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生まれた日の朝のことは覚えていないけれど
記憶は脳ではなくこの身体のどこかに
仕舞いこまれているのだろうか
夜のあいだに降り積もった雪で隠された泥土のように
皮膚の下にうごめいているのは肉ではなく
輪郭を失って混ざりあった記憶なのかもしれない
 
4畳半の部屋の押入れのなかには
アイロン、客用の座布団、しばらく使われていない編み機、それから
予備の乾電池、洗濯バサミ、端切れ、きれいな包み紙なんかが
それぞれの箱に仕舞われパズルのようにきちんと積み重ねられていた
ほとんど病的と言っていいほどきれい好きな母親が
整理整頓をかかさない家は
だいたいのところ母親の領土だ
月初めに本屋さんが届けてくれる『りぼん』もわたしが読み終わると
押入れの隅に片付けられる
また引っぱり出しては何度も読み返したけれど
ときどき知らない間に古いほうから捨てられていった
しかたないのだ
4畳半と6畳の市営住宅は収納も限られている
領土を脅かされながら母親は
お話がどうなるかわかっているのになぜまた読むのかわからない、と言った
あのね、おかあさん
お話は変わらないけれどそれを読むわたしがそのたびに変わるんだ、と
今なら説明できるかもしれない
こんなふうに繰りかえしことばになって
記憶のなかの家を訪れるたびに
箪笥の奥行きや電灯をつけるときに引っぱる紐の長さや窓までの歩数が
少しずつ変わっていくのと同じこと
だから今
押入れを開け1974年11月号の『りぼん』を探し出してみたくなるけれど
きっと座り込んで読みふけってしまうにちがいないから
やめておこう
それよりも玄関で何か音がしたような気がする
誰か帰ってきたのだろうか
父親が仕事から、母親が買い物から、弟が学校から
それともわたし自身が他のどこかから
また、ここへ

2014.10.30