【第6回】わたし | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

塔は崩れ去った

塔は崩れ去った

【第6回】わたし

2014.10.21 | 福田若之

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どうして人を殺してはいけないの?

に対して、答える言葉を持つこと。[1]

 

そもそも人が人を殺すということは

人と人とがつながりあう場所でしか

原理的には、起こりえないことだ。[2]

 

逆に、人と人とのつながりは、

一方が他方を殺すかもしれない

という可能性を内包している。[3]

 

ひどい言い方だけど、

人と人とのつながりは

相互の殺人可能性だ。[4]

 

ただし、可能性を可能性のままにしておく

ときにしか、人と人とのつながりはない。[5]

 

つまり、人と人とのつながりにとって、

殺人は、原理的にいけないことなんだ。[6]

 

一方で、つながりのないところには

殺人の可能性も生じることはない。[7]

 

つまり人を殺すことは

いけないことではなく

不可能なことになる。[8]

 

だから、人と人とのつながりにとって

殺人がいけないのなら、可能な殺人の

ぜんぶを、いけないことだといえる。[9]

 

そして、人と人とのつながりにとって、

殺人は、原理的にいけないことだった。[10]

 

だから、人を殺してはいけないんだと

わたしは。そう答えることでのわたし

――ではない!

ではない。いままで黙っていたけど。

それ[11]は僕[12]ではない。

「僕」もまた、■■■■■■■■■■■■■[13]ではない。

無果汁のりんごジュース[14]

「わたし」は言葉で、「わたし」は「わたし」が「わたし」と呼ぶ「わたし」に過ぎず、

それとは別の?%‘>$+l;#@[15]である身体[16]

が「わたし」を脱獄した。

「僕」に乗って逃走し、「僕」を乗り捨てて不明。

 

VAROOM!

やつ[17]はお前[18]を殺そうとしているぞ! 気をつけろ!」

 

ではない、ではない、ではない。

は      ではないではない

な        ではない……

い            ……

 

(ぼくがはじめて「はいく」を書いたのは(まだ、ぼくが「福田若之」という別の名前を与えられるよりも前のことだ)、たしか、小学校に入ったか入らなかったかぐらいのことで、細かいことはよく覚えていないけど、家にあった漢字辞典を引きながら書いたに違いなかった。そのぼくにとって、「はいく」といえば『ちびまる子ちゃん』に出てくる友蔵じいさんの「心の俳句」のことでしかなく、したがって、それをまねたぼくの「はいく」というのも、妙にませた人生訓のようなもので、「空を飛ぶカラスのふんに福がある」だとか、「天国にいる人もいつか地獄に落ちていく」(1075のリズム。上五の字余りをさほど気にしないのはこの頃からだったようだ)だとかいう代物だった。いつだってわすれない。エジソンはえらい人で、逆転の発想が大事なんだと、どこかで思っていたんだろうね。あのぼくをカッコに入れて、である記憶とではない記憶のごたまぜを編む[19]



[1] 秋の蚊か良いかもわからずに潰す

 

[2] 公園で会うとつめたいよね、ばった

 

[3] 破れたらあけびは怖ろしくなった

 

[4] きのこから別のきのこが生えている

 

[5] ビニールが灼けて銅剝き出しの線

 

[6] わたしより眼の利くほたる明らかに

 

[7] 冷蔵庫沈没船のなかで開く

 

[8] ないものはない蚊取線香の灰

 

[9] サイレンを秩序と思う春の空

 

[10] 水仙があるいは詐術だとしても

 

[11] つまり、わたしのことである。

 

[12] つまり、わたしのことである。

 

[13] つまり、わたしのことである。

 

[14] つまり、わたしのことである。

 

[15] つまり、わたしのことである。

 

[16] つまり、わたしのことである。

 

[17] つまり、わたしのことである。

 

[18] つまり、わたしのことである。

 

[19] 誰の?