【第2回】クロコスミア | マイナビブックス

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塔は崩れ去った

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【第2回】クロコスミア

2014.09.23 | 福田若之

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クロコスミア祖母の口の閉じた写真
 
クロコスミアはアヤメ科ヒメトウショウブ属の植物の総称である。生前の父方の祖母の記憶は、結局曖昧なままだ。アフリカ原産。ちゃんと会話をした記憶はついにない。日本には園芸品種として明治以降に伝わってきた。覚えている限りで、最初に父の実家まで祖父母に会いに行ったのは小学四年生の夏のことだ。花期は六月から九月。その時にはもう、祖母は話すことができなくなっていた。園芸的には旧属名であるモントブレチアの名でも知られている。リウマチが進行していて、祖父の介護なしには何もかもままならなかったのだ。花は朱色のものが最も知られているが、黄色のものなどもある。アルバムの写真に写っていた祖母とは全く似ても似つかなかった。花のつき方はグラジオラスとも似ていて、穂になる。それは、僕の方がまだまともに話せなかったであろう頃の写真だ。球根植物。家族の写真。繁殖力が旺盛で、伝わるとたちまち野生化する。それ以来の再会だった。多年草で簡単には枯れない。正直に書くと、僕は祖母のことがこわかった。その繁殖力から、佐賀県では、持ち込みと栽培が条例で禁止されている。たぶん、より正確には祖母そのものではなく祖母の状態がこわかったのだろうけれど、そんな区別は当時できなかった。最もポピュラーな園芸種の和名はヒメヒオウギズイセン(姫檜扇水仙)というが、ヒガンバナ科の水仙とは生物学的には遠い。父の実家の庭にはいちじくの樹が植わっていて、その八月に、生まれて始めていちじくを食べた。檜扇のほうは同じアヤメ科だが、やはり、それ以上に近縁ではない。いちじくの中身はぐずぐずのどろどろで、それを口に入れる頃には手がべとべとだった。檜扇はアヤメ属だ。ふいに、壊死しつつある祖母の手足のことが思われて、次の瞬間には洗い場に向かってぜんぶ吐いていた。実際、両者はそれほど似ていない。祖父は悲しそうな顔をしていた。ヒメトウショウブ(姫唐菖蒲)属というが、もちろんサトイモ科の菖蒲とは似ても似つかない。「ごめん、ちょっとだめだった」とかなんとか、とにかく、頼まれもしないのにそんな弁解だけが口をついて出ていた。花菖蒲のほうは同じアヤメ科だが、これもアヤメ属で、やはり別物である。世界貿易センターのビルに旅客機が追突したのが、その翌月のことだ。旧属名のMontbretiaはフランス人植物学者のエルネスト・コクベール・ド・モンブレErnest Coquebert de Montbretに由来して名付けられたようだ。ツイン・タワーが崩壊してから、そんな建物がニューヨークにあったことを知った。しかし、日本ではなぜか彼を、在ドイツ領事だった彼の父、シャルル・コクベール・ド・モンブレCharles Coquebert de Montbretと混同した記述が多く見られる。家族では父だけが、崩壊の瞬間をテレビ中継で見ていたという。「植物学者のシャルル・コクベール・ド・モンブレ」などとされているのである。僕はもう寝てしまっていて、翌朝は水曜日だった。新属名のCrocosmiaのほうは、ギリシャ語のKrokosとosmeから来ている。学級文庫には『はだしのゲン』が並んでいて、起こるかもしれないと思った核戦争のことがこわかった。Krokosは「クロッカス」。そのことで、僕は祖母がこわかったことをしばらくのあいだ忘れていることができた。すなわち、サフランである。祖母が亡くなったのはその三年後で、そのとき初めて、僕は死んだ人の体に触った。osmeは「香り」を意味する。冷えていた。この花を乾燥させてお湯につけると、サフランの香りがするのだという。突然、説明しようのない感情がこみ上げてきた。サフランもアヤメ科だ。声を上げて泣いた。サフランの香りはサフラナールという成分による。息が苦しかった。クロコスミアの香りが同じ成分に由来するのかはよく分からない。祖母の頬はいちじくよりもずっと固かった。花は、盆花としても用いられることがあるという。三年前に祖父が亡くなったとき、僕はその顔に触れることが、できなかった。
 
いちじくと祖父が笑っている写真

2014.9.23