【第11回】ドグマチズム | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

塔は崩れ去った

塔は崩れ去った

【第11回】ドグマチズム

2014.11.25 | 福田若之

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


 以下は、宇宙知的生命学会におけるZ. F. ボルター氏の報告発表と、その後の質疑応答の記録を翻訳したものである。
 
報告発表
 歴史的資料に少しでも目を通せばそこから容易に読み取ることができるように、かつて我々に先行してこの天の川銀河の外へ探検調査に繰り出した者たちのほとんどは、彼らが出会った知的生命体を未開で野蛮なものと決め付けてきました。しかし、アンドロメダ銀河第50085139番恒星系第4惑星での調査は、このような先入観を根本から打ち砕くのに充分な事実を、我々に知らしめたのです。
 この惑星には、あえて地球の動物種にたとえるならば毛のないアリクイといった風貌の、1種4亜種の知的生命体が活動しています――我々調査団は、この生命体の用いる自然言語の発音上の特徴から、彼らを「アプアプ」と呼び習わしていました。皆様には、この場でも私が彼らのことをそう呼ぶことをお許しいただきたく思います。
 まず、我々がはっきりと認識することになったのは、このアプアプが暮らす星の表面積のうち、約70パーセントが彼らにとって強い毒性を示すこの星特有のマッチャ・カラーの海水によって覆われているために、彼らの活動が星全体の表面積から見れば極めて狭い地域に制限されてきたということでした。周知の通り、アプアプと同様、これまでに発見された地球外知的生命体の多くが、我々地球人とは異なり、それぞれ、彼らの故郷である星のごく限られた地域にしか活動範囲を持ちません。そして、この事実はしばしば、我々が彼らを知的ではあるが文明の未発達なものとみなす認識の根拠とされてきました。しかしながら、私は問いたい――この認識は間違っているのではないか、と。少なくとも、さしあたり、これから私が話すことになるアプアプたちの驚異的な文明に限定するならば、こうした認識は、むしろ我々の野蛮さを証明することになるでしょう。
 いったいどのような進化の結果なのかはいまだ明らかにされておりませんが、全ての亜種に共通して、アプアプたちは腹部から大量の青い油脂を分泌します。地球の恒温動物が体内に溜め込んだ脂肪を燃焼させることで自らの体温を保っているのに対して、アプアプたちは、彼らが自ら分泌して器に溜め込んだ油を燃料とした焚き火によって体温を保ちます。彼らの体内には運動に必要な以上には脂肪が溜め込まれません。彼らにとって、体温調節のための脂肪は、身体の外部に溜め込むものなのです。そして、おそらくこのようなアプアプたちの生物学的な特質が、彼らが現在営んでいる火と油の使用の極めて発達した文化を作り出すことになったのです。そして、この文化の発達の過程で、アプアプたちは自らのコロニーを石灰質の巨大建築群によって覆いつくしました。
 滞在中、我々は彼らのコロニーで自家用フライヤーを一台たりとも確認することはありませんでした。このことは、彼らの文明が遅れていると考える人にとって、都合のいい事実であるかもしれません。しかし一方で、我々は、彼らの集落およびその建築群が、我々が今いるこの大都市よりずっと広いことを知りました。これらの建築物の内部には油のぎっしり詰まった配管が張り巡らされており、人口の大部分はこれらの建築物と配管の管理に従事しています。
 では、この配管の網は一体何なのか? 実のところ、それは一つの巨大な計算装置なのです。我々が電子回路によってコンピュータを作り出したのと同様に、彼らは管を流れる油の回路によって計算装置を作り出したのです。彼らの論理回路では、論理演算子のAND(∧)は油圧によって開閉する弁の直列、OR(∨)は弁の並列によって表現されます。
 皆様のご想像の通り、油の運動によるエネルギー伝達は電気によるエネルギー伝達に比べてはるかに遅い上、導線ではなくパイプを使うために回路の小型化や量産にも限界があります。しかし、彼らは無数の論理回路を並行して稼動させることによって、前者の問題を緩和しています。もちろん速度の点で電気には及ぶべくもないのですが、アプアプの寿命が極めて長いこともあってか、結果の算出に関しては、彼らはいつも実にのんびりと構えています。そして、後者の問題については、彼らはそれを欠点とは考えていません。それは、装置の巨大化と一度作られたものを使い続けなければならないという制約こそが、彼らに対してその管理と修理のための莫大な雇用を絶えずもたらしているからです。彼らの論理回路の巨大さは、彼らの生活の支障になるどころか、むしろ、彼らの経済の基盤になっているのです。
 ところで、紙を持たないアプアプたちにとっては、これが、彼らの芸術のほとんど唯一の記憶媒体です。建物の壁などに彫りこまれる文字は、原則として、回路のその場その場での取り扱いの記録にのみ使われます。壁に刻まれた過去の作業の記録は、後にそこを点検する修理工がその場で配管の現状を理解するために重要であり、壁には配管の修理にとって余計なことは一切記録されていません。どの建築物も配管に埋め尽くされており、したがって、どの壁も配管の情報で埋め尽くされているのです。
 そして、油圧式演算装置のメモリの芸術的な利用は、それが芸術作品を記録するために使うことのできる唯一の媒体であるにも関わらず、先に私が述べたその遅さと巨大さのために、最小限に抑えられています。彼らの文化においては、情報量の大きな作品は彼ら自身の記憶と口伝以外の形式で記録されることも複製されることもありません。
 記録され、複製される芸術作品は、たった十七のオンとオフの配列なのです。オンに横線、オフに縦線を対応させるアプアプたちの表記法に従えば、一例として、次のようなものです〔ボルター氏はここで、以下の記号の列を示した。――記録者注〕。
 
 | ─ | | ─ | | | ─ | ─ | ─ ─ ─ | ─
 
 誤解のないように付け加えておくと、これらの作品は、アプアプたちによっても、決して何らかの意味を持った暗号などとして読まれることはなく、単なるオン/オフの配列と見なされています。アプアプの記憶能力は決して低いものではありませんから、もしも、これが何かを意味していて、その意味こそが重要であったのならば、このような記録は一切必要とされなかったでしょう。彼らにとっては、これらの配列がメモリの中に現に書き込まれて存在していることこそが、重要なのであり、その事実こそが、美的鑑賞の対象なのです。
 この無意味の形式は、我々をひどく驚嘆させました。もちろん、確かに、我々のクルーたちは、全員、この表現形式がいかなるものなのか、その構造を理解することができました。しかし、極めて残念なことに、全員とも――というのは、私も含めて、ということですが――彼らの芸術を鑑賞し、したがって、アプアプに共感すること、作品の美的価値の判断基準を彼らと共有することはできませんでした。それはつまり、私がこの発表において、便宜上、アプアプの「芸術」と呼んできたものが、実際には、我々が通例「芸術」と呼んでいるものとは質的に異なる体系を持っていることの反映に違いありません。このことは、しかしながら、ただアプアプたちの美的感覚が我々のそれと異なっていることを意味しているだけのことであって、決して、彼らのそれが我々のそれに比べて劣っていることを意味しているわけではないのです。
 
質疑応答
 質問(W. B. O. マキノ) 発表いただき感謝します。私が伺いたいのは一点、彼らが紙ないしはそれに類似したものを持たないのはなぜかということについてです。もちろん、我々の星が、紙ないしはその代用として使うことができる資源に恵まれているということは承知しています。やはり、理由は惑星の自然環境にあるのですか。
 Z. F. ボルター ええ。それは、あなたが想像された通り、我々がパピルスから発展した植物由来の紙や、そうでなければ羊皮紙のようなものを手に入れるのと同じようには、彼らはそれらの代用物を手に入れることができないからだと予想されます。ただし、私はあくまでも今回の調査で得られた情報の限りで、あなたの質問に回答するのですが。我々が彼らの星で調べた限りでは、彼らの生活圏で狩猟・採集ないしは養殖・栽培可能な生命体の多くが、それらから紙を得ることは困難な肉体であるか、さもなければ極めて数が少なく養殖や栽培は困難であるかのどちらかでした。この問いについてのより正確な解答は、アプアプの星の生態系に関する今後のより本格的な調査を待つことになるでしょう。
 質問(M. T. ノートン) 最初の質問者の方と似たような質問になってしまうのですが、私は先の質問者よりも懐疑的な立場から質問をしたい。もし、彼らの活動がそれほど文明的であるとすれば、なぜ電気エネルギーを一切利用しようとしないのでしょう。私には、この一点だけでも、彼らの知性が我々のものに比べて劣っていることが明らかであるように思われるのですが。
 Z. F. ボルター なるほど。実は、それについては理由がはっきりと分かっています。私が報告において一言触れておくべきだったかもしれません。その答えはただ一つの決定的なもの――彼らの信仰なのです。我々の原始の祖先たちが空から降る雷と電光に神の怒りを見たのと同様の理由から、彼らは電気を神の所有物と見なし、自らそれを利用することを背信的行為として禁じたのです。空から降り立ち、電気を駆使した技術を持った我々は、彼らからは神の使いとみなされていました。そのことは、我々にとって、おそらく幸福なことでした。もし、我々が彼らの信じる神の使いでないことが発覚していたら、我々は神の道具を盗み出した悪魔として、拘束と処刑の対象とされたかもしれません。異なる文化の交流には、われわれにとって有益なことが多くある一方、常にそうした危険も付きまとっているのです。あなたがたは、今の私の発言を聞いて、かえって彼らを野蛮だと考えるかもしれません。しかし、彼らの信仰は彼らの知性が劣っていることを示すものではありません。たとえば、クリスチャンが土葬をするからという理由で、火葬をするブディストたちに比べて彼らが劣っているなどと誰が思うでしょうか。ヒンドゥーズが食事に左手を使わないのは、決して彼らに知性がないからではありません。
 伝達媒体として油より電気のほうが優れているという認識は、根源的には、速さの信仰に由来するものです。もしも、我々がアプアプたちのコロニーに文明を見なせないのだとしたら、むしろ我々が〈文明〉と呼ぶもの――実際には、我々の文明であるに過ぎないもの――の方こそが、「速くあるべし」という一つのドグマに縛られているということに他なりません。

2014.11.25