【第8回】隙 | マイナビブックス

詩、短歌、俳句の新しいカタチを探ります。紙から飛びだした「ことばのかたち」をお楽しみください

塔は崩れ去った

塔は崩れ去った

【第8回】隙

2014.11.04 | 福田若之

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 芭蕉のやつは俺のことを「旅人」だと書いた。それは確かに正しい。だが生憎、そう書いた芭蕉自身と同じように、そいつは俺の生業じゃない。
 芭蕉は俳人だったが、俺のほうは盗人だ。逃げ足には自信がある。あんたの頭ん中からも盗んだことがあるぜ。たしか、あんたがまだガキだった頃には暗記モノのテストの得点をいくらか盗んだはずだ。心当たりはあるだろう? 他にも数かぎりなく盗んだ。あんたの忘れちまったもの、忘れたことさえ忘れちまったもの全部だ。貯めておくと、これがけっこうな額になるんだよ。預けておけば利子もつくしな。預け先は秘密だ。それを教えることはできない。
 JR秋葉原駅、電車の中。そいつは遠い行き先のことを思いながら、手元の液晶画面に表示されてるクロスワード・パズルを眺めていて、駅のかたちがきれいな十字になってることなんかすっかりどうでもいいって感じなわけ。重大な誤解を前にして、そいつはまるで隙だらけだったから、俺は今朝そいつが見たばかりの夢を盗ることにした。車両の揺れ。そして掏摸ル。必要なのはほんの一瞬だ。目の前に座ってるのは中学校の教師かなんかだろう。隙のなさそうに見えるその目は、歴史のテストの採点の真っ最中で、俺の犯罪を見ることはない。
 駅から駅へ、電気で動くゴーレムは毎日決まった運動に従事する。ダイヤグラムを書いた律法学者は、都市の成長を永遠だと信じてるんだろう。人体を詰めて北へ向かう。終点の大宮は中山道の宿場町だった。でも昔には戻れない。
 あんたら人間の夢は記憶でできてる。目を閉じても見えるものは全部そうだ。眠ってるときのそれも、将来のそれも。夢の記憶は記憶の記憶さ。一生の一日一日を大切にすべきだろうよ。ベルクソンが言うとおり、あんたら人間のあらゆる知覚は実際のところ記憶なんだから。車窓を宝石商の俗っぽい看板がよぎったとしても、生きてる限りは、欲望の往復運動に終わりなんてない。
 俺にとっては人間を盗むことも日常茶飯事だ。毎日たくさんの人間が死ぬ。真冬の夜の河川敷に行けば、とうとう戸籍まで売っちまった人間たちが縮こまっているのが見えるだろう。どんな人間だっていつかはすべての記憶から消えうせる。タイム・マシンを作った時間旅行者さえ、しまいには俺の預金口座に振り込まれることになったんだぜ。もっとも、奴の名前に至っては、実のところ俺でさえ知らない。
 百年後、そして千年後になれば、あんたらだって、みんな、ありとあらゆるものを俺に盗み取られて、鏡の向こうの灰になる。そこでは、ユーリディスがオルフェを諭して言ったように、もう体のことを気にする必要は抜きになる。で、そのころになって、またとてつもない揺れがやってくるわけだ。どんなに堅牢であっても、建てられたものはいつか崩れ去るのだし、エントロピーは増大を続ける。そうだろ? 泊まるはずだった宿は廃業して集合住宅に変わっちまった。人生の使い方を考えることだ。1969年も1975年も、もうとっくの昔になったんだ。ホテル・カリフォルニアは、どこにもありはしない。
 そんで俺はこんなふうに強風を起こして、これまでずっと、歴史の天使が瓦礫のパズルを完成させるのを阻んできたわけだ。安泰だよ。インクとチョークと染料と紙でできたクレーの天使はずいぶん脆いし、ベンヤミンが蘇ることもない。
 

秋草を
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 「止まれ、お前は実に美しい!」――そのとき、映写機の光がフィルムを一気に燃え上がらせちまう。そうなればもうおしまいだ。魂が救われたからといって、それがいったい何になる? マドレーヌを紅茶に浸したところで、焼けたフィルムはもとには戻らない。
 
 干乾びたすすきだ捨てるほかはない
 
 
2014.11.4