【検索結果】"前田融 "の一覧
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2002年頃になると映画や漫画の脚本を制作するプロジェクトに関わり、アメリカ向けに企画書を作成したり、アニメーション向けのパイロットを制作したりしていましたが、アメリカからは、良い返事がなかなかもらえません。
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大阪へは数日前にスタッフと入りました。ライヴハウスに行くとISDNの話しを聞いていないということで、至急手配をしなければならないところがるなどトラブルが続出します。
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1999年商社の方よりIT系の会社が音楽配信ビジネスを検討しているので相談に乗って欲しいということで会議に参加します。
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なぜ映像制作に転身しようと思ったかお話ししていませんでした。
CD-ROM作品は、パソコンのOSのバージョンが変わると観れなくなってしまうような儚い運命の商品でした。 -
1998年社長室に配属されて3ヶ月で退職を決意し、新たな職場で心機一転仕事に打ち込みます。しかし、最初はスタジオの営業でした。慣れない業務でしたので戸惑いました。
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海外のゲーム会社よりコンタクトがあり、日本のミュージシャンでCD-ROM作品を制作する提案があります。ゲーム機対応のソフトで音楽のリズムに合わせてピッキングして遊ぶタイトルです。
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親会社から新しいメディアの規格が来ます。DVDというデジタル映像メディアです。
私たちに依頼があったのは、まだプレーヤーが出来ていないので、プレゼンテーション用にDVDの仕様を紹介するデモを制作して欲しいということでした。 -
ある日、洋楽のディレクターから連絡が来ました。ビッグ・アーティストのCD-ROM企画を持ってきたプロデューサーが来日しているので、会議に出て欲しいということです。
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画家の先生のお宅での打合せで、私はこのクリエイターだったら素晴らしい作品が創れると確信し、デモ制作費を捻出して、プロジェクトを進めて行きます。
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残念ながらジャズのミュージシャンのアルバムではデモ作品の完成までたどり着けませんでした。このような企画に賛同して頂き、積極的に参加して頂けそうな他のミュージシャンを探すことになります。
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CD-Iの企画をいろいろ考えますが、実際CD-Iのスタジオで制作してみないと面白いかどうか判断できないという状況では、お金も時間も掛かりすぎ効率が悪すぎます。
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CD-ROMでは、社外のデータでディスクを製造するという受注ビジネスでしたが、CD-Iはレコード会社の資産も利用してビジネスができる可能性のあるメディアです。
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本社での一次面接が終わり、次は工場見学を兼ねた技術部の部長・副部長との二次面接になります。
教授と一緒に工場のある静岡へ高速バスで行く予定だったのですが、前日に起きた日本坂トンネルの事故でバスが使えないため、電車で行くことになりました。 -
出向も終わりが近くなると今度は、CD-ROMというメディアの立上げの仕事に私が関わり、本社へも行くようになるという噂を耳にします。「えっ、本社勤務になるのか」とお思い込み、住む場所のことなどもあるので上司にどうなっているのか問い詰めたりしました。
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音響工場に出向中に、1階にあるスタジオを使ってみたいと思いました。しかし、機材はプロ用で自分にオペレーションができるか自信がありません。
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