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モバイルビジネス最前線 Web Designing 2016年5月号

Eight:スタートアップ企業の新規事業もたらすイノベーションと価値創造 「Sansan」が生み出した大ヒット名刺管理サービスができるまで

新規事業は、時に「企業内起業」と呼ばれる。新しい収益を作るだけでなく、既存組織に新しい価値想像やイノベーションをもたらすからだ。既存事業の強みを活用して成功した大ヒット名刺管理サービス「Eight」の開発の裏側を聞いた。企業内起業ならではともいえる、着実で一本気なイノベーション創造の物語だ。

「ホントに無料?」と思わず驚くアプリ

ビジネスマンが名刺を探し出すのに割く時間は、1カ月に1時間36分にも上るという(※1)。つまり、年間では約20時間だ。この無駄を解決しようと、古くから多くの名刺管理ツールが開発されてきた。しかし、名刺のデジタル化には解決し難い二つの問題があった。一つは入力が面倒であること。スキャナの進歩や文字認識ソフトの精度向上は目覚ましいが、目視確認による情報入力・修正は欠かせない。もう一つは名刺情報には賞味期限があること。せっかく手間暇かけても、異動や転職、事務所移転などによって情報が変化するため、定期メンテナンスが欠かせない。

「Eight」は、こうした名刺管理の問題を解決するスマホアプリだ。リリース以来成長を続けており、ユーザーは100万を超える。人気の理由は、無料とは思えないほど徹底された利便性にある。ユーザーが行うのは、アプリで名刺を撮影するだけだ。スキャナを使えば、名刺の撮影すら必要ない。また、自分の名刺情報も登録・管理するため、Eight上で繋がった相手には情報更新のたびに自動的に通知される。2015年には繋がっている人々へのフィード配信機能、今年3月にはアプリだけで名刺交換できる機能を実装した。

「名刺管理ツールは、あらゆる面で、ものすごく大変なサービスです。だから、いかにやり切るかなんです」(Sansan(株)取締役 Eight事業部長 塩見賢治氏)

しかも驚くことにこのアプリ、真の提供価値は名刺管理ではないという。では、何なのだろう?

※1 Sansan(株)発表「名刺に関する実態調査2015」より

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Eight
Sansan(株)が2012年より提供する個人を対象にした名刺管理&ビジネスネットワーキングサービス。名刺をアプリで撮影するだけで、自動的にクラウドに送信され、見栄えよく補正されるとともに、人力によるテキスト情報の入力までされて一覧に追加される。iOS版とAndroid版、PC版がある

 

SansanとEightはベース技術から違う

Eightを開発・運営するSansan(株)は、企業向けに名刺管理と顧客管理のサービス「Sansan」(会社名と同名)を提供している。どんな差があるのだろうか。

「Eightが目指しているのは、オンラインのビジネスネットワーキングです。その起点として、名刺管理の機能を提供しています。顧客管理に名刺を活用するSansanでは『名刺は会社の資産』、一方のEightは『名刺は個人のネットワーク』と謳っています。こうした考え方の違いだけでなく、開発言語からデータベース、開発スタイルも違う、別の事業なんです」(塩見氏)

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(左)アプリを立ち上げるとフィードが表示される。名刺情報変更のお知らせのほか、日経新聞と連動したトピックスも表示される
(中央)「あなたのネットワーク」というタブが名刺一覧。名刺管理アプリではなく、ネットワーキングアプリである証左だ。今後は、「お知り合いですか?」といったリコメンド機能に力を入れていく予定
(右)左や中央画面の中央下の「+」ボタンを押すと、名刺追加のアクション画面に。(名刺を)「撮影して追加」「名刺交換」(アプリによる名刺交換)「検索して追加」(ユーザー検索による追加)がある

Eightは名刺をビジネスソーシャルグラフの起点と考え、それをオンライン化することでFacebookやLinkedinなどとは異なる価値を提供するビジネスネットワーキングサービスを作れると目論んでいる。それが事業のコアバリューだ。その基盤となる、個人による名刺管理機能を先にお披露目したわけだ。もともと名刺を扱う企業だけに、特別なこだわりがあった。

「名刺管理はけっこう面倒な作業なので、『単に便利』というだけではダメだと思いました。愛されるプロダクトにならなくてはなりません。UIやUX、アプリの挙動を何度も見直し、リリース後も試行錯誤を重ねました」(塩見氏)

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撮影して追加
一般的な名刺管理アプリの手法で、一番ベーシックな方法だ。サーバに送信された名刺データは、オペレーターによって人力で入力されるため、色やレイアウトがさまざまな名刺を高精度でデータ化される

プロジェクトスタートの翌年2012年春にはHTML5で開発してiOS版とAndroid版のアプリをリリースしたが、満足のいく完成度に達せず、フルネイティブ版の開発に着手し、2013年春に世に送り出した。

「これで行けそうという雰囲気を感じられたのは、このバージョンからです」(塩見氏)

手応えを感じてなお、「愛される」ようにチューニングを重ね、改善を重ねた。

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アプリを立ち上げている「近くのユーザーと名刺交換」「QRコードで名刺交換」、自分の情報を「メールでプロフィール送信」の三つの方法がある
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名刺交換(上)の画面で、それぞれのメニューをタップすると、名刺交換が可能になる。「近くのユーザー(左)では、近くでアプリを立ち上げている人が表示されるので、Eightを使った名刺交換会といった用途も考えられる

 

参入障壁は「難問の膨大さ」

見えない工夫もたくさんある。たとえば名刺情報の入力。人力では1時間に20枚程度が限度だという。

「Eightで交換される名刺の数は年間1億枚。仮にすべて外注すると50億円のコストになります」(塩見氏)

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(左)プロフィール情報をアップデートすると、つながっている人に通知される。SNSの投稿のように、「いいね」したりコメントしたりできる
(中央)アプリ内でメッセージのやりとりも可能だ。まさに、ビジネス向けSNSといえる
(右)FacebookやGmailなどと連携して、友達や知り合いと名刺交換することが可能だ

これに加えて、個人情報管理の問題をクリアしなくてはならない。この課題は、Sansanが特許を取得しているセキュリティとコストを両立させる人力入力のしくみを利用してカバーしている(12)。ほかにも、登録した本人情報と名刺を受け取った側の情報に不一致がある場合の処理、汚れや誤植があった場合の処理など、細かい課題は数え切れない。しかし、一定の水準を満たさないと「愛されるサービス」は成立しない。Eightは、早期にこれらの難所を乗り越えてたどり着いた。競合アプリが次々現れては撤退していくのを見て、その大変さを改めて実感するという。

「名刺管理サービスは誰もが思いつくのですが、やり切るのが本当に大変なんですよ。私も生まれ変わったら、もう名刺の仕事はやりたくないです(笑)」(塩見氏)

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PC版の画面は、一般的なSNSと同様の構成だ。まさに「あなたのネットワーク」といえるだろう。アプリからは設定できない詳細な設定も可能だ
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「Eightプレミアム」(月額400円~/年額4,000円~)が用意されている。名刺データをダウンロード可能、オペレーターによる入力が優先されるなどのメリットがある

 

他社とのエコシステム

基盤構築の次は横展開だ。2014年には、リアル空間での名刺スキャンサービスを始めた。コワーキングスペースや喫茶店に専用スキャナを設置して無料でスキャンできる環境を提供した(13)ほか、カメラ店で有料のスキャン代行サービスも展開した。2015年には、(株)PFUのスキャナ「ScanSnap」のクラウド機能に接続し、手軽に登録できる手段を強固にした。こうしたエコシステム構築によって、参入障壁をさらに高くすることに成功している。

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Sansanが特許を持つ、名刺入力の仕組み。幾重もの手間をかけているように見えるが、こうすることでセキュリティを担保しつつ、コストの抑制という問題も両立させている

 

本命の「ビジネスネットワーキング」へ

名刺管理機能が整った2015年夏、満を持してビジネスネットワーク機能が投入された。開発を進めながら、リーンスタートアップの手法やB2Cサービス構築、スマホアプリ制作のノウハウなど、それまでのSansanになかった機能・知見・文化を取り込んできた。

Eight事業がビジネスネットワークにイノベーションを産み出すのはこれからだが、すでに事業開発を通じて社内に蓄積されたノウハウは少なくない。これらは、「CTM」(Corporate Technology Meeting)と名付けられた社内会議や、人材を通じて、既存事業にフィードバックされている。

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どこでもスキャン
東京・神奈川に展開する喫茶店「ルノアール」に、専用スキャナを設置した(上)。右は、その際に使用する専用アプリ。そのほか、「スタッフが出張して」「郵送して」といった名刺のスキャンサービスも用意されている

 

素直なチーム文化と成長

現在、Eightの運営は、塩見氏を筆頭に、10名の企画チームと20名の開発チームが並ぶ。2015年末からは、チーム運営にGoogleが実践する「OKR」(Objective Key Results)というマネジメント手法を導入した。トップのメッセージを施策に落とし込み、メンバー個々の仕事の目的を明確にすることで判断をクリアにし、生産性を高めるという手法だ。

「まず教科書通りにやってみて、四半期で成果をレビューします。導入直後ですが、効果が出ていると感じています」(塩見氏)

新しい価値の創造をビジョンとして掲げながら、PDCAを回す段階ではあらゆる知見を参照して生産性の向上を目指し、チャレンジを継続する。こうした真面目でイノセントな取り組みが、他社の追随を許さない事業基盤を作ってきたのだろう。サービスとしてのEightも、チームとしてのEightも、この粘りをどういう成果につなげていくのか、機会を見てまた取材させてもらいたい。

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Sansanは、事業によって使われる技術が異なる。そこで、事業を横断した技術者ミーティングを実施して情報共有を図っている
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Rubyの生みの親である、まつもとゆきひろ氏をはじめ、岸川克己氏、堤修一氏、あんざいゆき氏、山崎誠氏を技術顧問として迎えている
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表参道にあるSansanのオフィスにユーザーを招いて開かれたオフ会の様子。会場となった打ち合わせスペースには、なぜか大きな壺が多い。「あれは‥‥いいものだ」?
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「社員の健康維持が生産性を高める」との考えのもとに「フィット」という健康に関する社内プログラムを実施している。上はヨガレッスンの様子。右は健康的な間食「ナッツ」サーバ
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Sansan(株)取締役 Eight事業部長の 塩見賢治氏。2007年のSansanの立ち上げに参画

 

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Text:中谷健一
トリムタブジャパン(有)代表取締役。2000年からモバイルの通販・マーケティングに携わる。現在は新規事業コンサルティング業。本連載ではモバイルデバイスに関するビジネスの最新事例と、そのチームの素顔に迫る。 http://www.trimtab.jp/ Twitter: @kenichi_n

掲載号

Web Designing 2016年5月号

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2016年4月18日発売 本誌:1,559円(税込) / PDF版:1,222円(税込)

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業績向上、業務改善‥‥その必要性は十分感じているものの、どうもうまくいかない。他 部署の連携をはじめ、プロジェクトがうまく進まない。その理由には時間や予算、体制など のリソースや業界動向なども影響していますが、そもそも今、課題として掲げているポイントは、本当の課題なのでしょうか? 課題の設定が間違っていれば、望まれる改善は期待できません。本特集では、「解決すべき課題」へのたどり着き方やデジタルツールを利用した「気付き」発見法などを、実際に手がけた仕事をもとにWeb制作・企画のプロたちが実践している「今日から使える」問題発見・分析・解決法を紹介します。

 第一部 成果を上げたデジタル施策の問題【発見】【分析】【解決】術
 【Introduction】問題解決のための正しい「課題設定」
 #01 _Case Study   Yahoo!映画│Kaizen Platform KPIツリーとグロースハックによる定番サイトの変化
 #02 _Case Study   SPACE DESIGN COLLEGE│DONGURI シナリオを組み立てて学校の有益性を伝える
 #03 _Case Study   博報堂コンサラクション│博報堂アイ・スタジオ 発掘した「ゴールデンルート」で課題解決
 #04 _Case Study   カトウファーム│LIG “らしさ"を設計するための思考と施術
 #05 _Case Study   森工芸社│パイプライン 自社事業をアピールするための強みの見つけ方
 #06 _Case Study   VITALISM│ベースメントファクトリープロダクション 商機と成果を生み出すユーザー目線の商品設計
 #07 _Case Study   Benesse│ takram プロトタイピングが変えたものづくりの現場
 【Column】
  偉人たちの金言20   課題解決のための地頭を鍛える10冊

 第二部 「数字」が教える本当の課題
 【Introduction】 課題解決のためのデータ分析の3つのポイント
 #01 _Case Study   VASILY データ取得の重要性とその活用法
 #02 _Way of Thinking   アクセス解析ツールだけで「課題」は見つかるのか
 #03 _Case Study   アルク│Ptmind アクセス解析+ヒートマップで「見える化」する
 #04 _Case Study   ギャプライズ│Wantedly、Peach John ツールを組み合わせて課題発見から解決へ
 【Column】
  導入のためのデジタルマーケティングツール マップ   Excelを使ってデータを「見える化」しよう

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■ コラム
 □ One's View
  今月のお題【課題解決】
  オンラインゲームで培われたネットのあれこれ by 白井明子
  サービス開発は自らの課題から始める by 土屋尚史
  がんばらないシステムでゆるく課題解決 by 峰松加奈

 □ モノを生むカイシャ
  dot by dot Inc,:最高の広告を求めるカイシャ

 □ 未来食堂の「せかいと未来」
  オープンソースな定食屋はじめました

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