2015.10.24
保坂俊彦[サンドアーティスト] 砂から生まれ、砂に還る巨大彫刻
穏やかな浜辺に突如降臨した海神ポセイドンや、都心の公園で地中から巨頭を突き出す「ゴジラ」。誰もが子どものころに親しんだ「砂遊び」が究極まで進化したような、巨大彫像を生み出す人がいる。保坂俊彦さんは、東京藝術大学在学中に砂像彫刻に出会い、レールなき世界で自身の道を切り拓いてきた。「砂像は自分の表現であると同時に、老若男女に喜んでもらってなんぼの“出し物”でもある」と訥々(とつとつ)と語る彼の言葉には、独自の矜持も宿る。
《ポセイドン》 2015年 W3×D3×H3m 「ちばサンドアート2015」(稲毛海浜公園、9月12日~13日)のために制作された作品
photo:井手康郎 撮影協力:(公財)千葉市文化振興財団 All images ©Toshihiko Hosaka/FAD/SRS Co.,Ltd.
- 保坂俊彦(ほさか・としひこ)
- 1974年、秋田県生まれ。東京都在住。1998年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。在学中より各種イベントにて砂像の制作を開始。卒業後は、さまざまな素材による店舗や撮影用の美術品、ディスプレイ用オブジェなどの立体造形物の制作を手がける。現在は、国内外の砂像イベントで、日本を代表するサンドアーティストとして活動中。 http://www.t-hosaka.com/
「砂の彫刻」との出会い
日に焼けた肌と、運動選手のような精悍な佇まい。保坂俊彦さんは数十トンの砂を自在に彫り、高さ数メートルの巨大彫像を世界各地で手がける“砂の彫刻家”だ。作品の巨大さに加え、人体の躍動感と滑らかな質感も、建築の重厚さや鋭いエッジも、すべて同じ砂でできていることに驚かされる。
「初めて砂像をつくったのは大学時代です。母方の実家がある秋田の八竜町(現・三種町)で『サンドクラフト in 八竜』というお祭りが始まり、“美大で彫刻をやっているなら出てくれないか”と頼まれて。それで、軽い気持ちで友達と参加してみました」
ただ、砂像はそれまで彼が親しんだ彫刻とはまったく勝手が違った。まず、準備段階からしてスケールが大きい。高さ60センチの木枠を組んで重機で大量の砂を注ぎ、水を加え填圧機で固める。これを積み上げてピラミッド状の砂山が完成したら、ようやく彫刻家の出番だ。
「最上段から順に木枠を外し、彫っていきます。一段ごとに定着材のコーティングで仕上げて次に進むため、全体の構成を頭の中で把握しながら彫る必要があります。それまで僕は粘土などで肉づけしながらつくっていく“塑造”をやっていたので、真逆ともいえる手法でした」
砂像は後から全体のバランスを調整するのが難しく、途中で大きく崩れたらやり直しはきかない。手本も師匠も不在で最初に作り上げたのは、人の体に象の顔を持つヒンドゥー教の神・ガネーシャの巨像だった。
「どっしりした姿がつくりやすそうで、インパクトもあると思った」と保坂さんは笑うが、ガネーシャはあらゆる「こと始め」において祈りを捧げられる神でもある。そしてこれが彼を砂像の世界へ導くことになった。
「このお祭りにはそれ以降も毎年、夏休み気分で参加しました。やがて催しが有名になるにつれ、“あの作品は誰が作ったんだ?”と問い合わせがくるなどして、別の場所でも制作を依頼されるようになったんです」
ただ、前述の通り準備も大変なため、依頼側に熱意はあっても予算や環境が整わず、実現に至らないことも多かったという。そこで保坂さんは、自ら砂像づくりの場を切り拓いていくようになった。
「たとえば、きめ細かく最適な砂は千葉の館山などからダンプで運ぶし、砂山づくりも土木業者さんの力が必要。でも、初めて依頼される方は当然わからない。だから各地で制作するたびに、僕自身が業者とつながりをつくっていくようにしました」
市販品にはない砂像制作具を独自につくりだすのと同様に、レールなき世界で地道に活動の場も広げた。大学卒業後はテレビの美術制作やフィギュアの造型師などで生活資金を稼いだが、これらも砂像のアイデアやクオリティ向上に役立ったという。やがて、砂像では難しいとされた躍動感あふれる人体表現や、神話から飛び出したような世界観にも磨きがかかり、海外へも進出。国際コンテスト入賞など評価が高まり、意外な依頼も舞い込みはじめる。たとえば、塩づくりで知られる兵庫の赤穂市に招かれ、塩の彫刻にも挑んだ。また、最近では漫画『進撃の巨人』の広報を兼ねた砂像や、都心では初の制作となる新宿中央公園で「ゴジラ」像も手かげている。
「神話的なモチーフが多いのは、美大受験の石膏デッサンから付き合いつづけてきた影響とも言えるし(笑)、僕自身も神話的な世界が好きなんでしょうね。でも何より、“これが砂でできているの?”と誰もが驚いてくれるものを目指す中で、自然に巨神の姿などを選ぶようになってきました。『進撃』や『ゴジラ』の制作依頼も、そうした活動を見てくれた方が“巨大像”つながりから注目してくれたのだと思います」
作品が消えても残るもの
砂像彫刻との出会いから来年で20年。第一人者として活躍する今、あらためてこの世界に惹かれた理由を聞いてみた。
「やはり砂という自然の素材を使い、屋外=自然の中でつくるからこその面白さですね。必然的に公開制作になるので、背後で人々が驚き、完成したものを見て喜んでくれるのも直に感じられます。スタジオでひとり格闘するような創作の追求も、美術館で静かに鑑賞される作品も素晴らしいと思う。でも僕にとっては砂像だからこそ得られた出会いや広がりが何より大きく、それを大切にしたいです」
もっとも「砂像ならではの面白さ」は、そのまま難しさにもつながる。通常は数日間で仕上げねばならず、予測できない天候も難敵だ。40度近い気温や豪雨に悩まされることもあれば、ドイツではコンテストの賞状を受け取った直後に大粒の“ひょう”で作品が穴だらけになったことも! 加えて言えば、砂像は定められた展示期間が終わると解体され、再び砂に帰す運命にある。
「でも、僕はそこはまったくネガティブにとらえていません。ドイツの件はさすがに悲しかったけれど(苦笑)、決められた期間でまた砂に戻るからこそ、僕らは何度もそこを訪れて彫刻をつくれるし、同じ砂から作品が生まれ変わると考えることもできますから」
そして今、彼は新たな試みにも意欲を見せている。ひとつは、現代人の営みについてのメッセージもはらんだ新しい砂像の創作。
「この秋の『おおさかカンヴァス2015』で、通常は事前に砂からきれいに取り除く海辺の漂着物やゴミも含めた人魚像をつくります。前から抱いていたアイデアですが、ふつうのお祭りなどではなかなか実現できなかった。今回、完全に自由に創作できる芸術祭という場で挑戦できることになりました。どうなるのか自分でもわからないぶん、とても楽しみです」
もうひとつの目標は、日本で砂像の魅力をより広く伝えること。個性あふれる砂像が数十体も並ぶ大規模イベントが盛んな欧米や台湾などに比べ、日本はまだ実物にふれる機会も少なく、認知度も低い。
「たとえば都市部でもイベントをやれないか、など考えています。新宿のゴジラ像は、自分のなかでその第一歩でもあった。国内外で知り合った作家たちに声をかけ、自分たちで何か企画できたらとも思います」
そう語るとき、訥々とした保坂さんの語り口がひときわ力を帯びた。日々、砂山に生命を吹き込む彼はいま、もうひとつの大きな「山」に挑もうとしている。