2015.09.25
流 麻二果[美術家] 「他人のいろいろ」から始まる色彩空間
彼女の絵画に初めて出会う者は、その世界を思わず二度、じっと覗き込むだろう。最初は、流れるような色彩の美にハッとして。次に、その抽象的なイメージが実は街角ですれ違う人々を発想源に生まれている、という事実を知って―。人間観察が趣味だった少女は、やがて想像力と創造力をその筆に乗せて運ぶアーティストになった。ファッションや建築ともコラボレーションし、いつしか「風景」としても広がるその創作に迫る。
撮影:川瀬一絵(ゆかい) 撮影協力:資生堂ギャラリー
- 流麻二果(ながれ・まにか)
- 1975年生まれ、香川県育ち。1997年、女子美術大学芸術学部絵画科洋画専攻卒。文化庁新進芸術家在外研修員(2002年)、ポーラ美術振興財団在外研修員(2004年)として、アメリカやトルコで作品を発表。国内外で多数の展覧会やパブリックアートを手がける。近年は、自身の絵画と空間全体の色彩を監修するなど、建築プロジェクトへの挑戦も多い。今春には、アパレルブランド「ENFOLD」とのコラボレーションにより、作品を精細にプリントしたアイテムが登場した(写真左で本人が着用)。アートに触れる機会の少ない子どもたちにアートを届ける非営利団体「一時画伯」発起人。東京在住。http://www.manikanagare.com/
《辻を逸れる Whenever You Pass the Corner》 2015年
他者への想像が生む絵画
色とりどりの絵具をキャンバスへ幾重にも重ねて生まれる、幻想風景のような世界。「油絵」という言葉から連想されがちな重たいイメージからは遠く離れ、軽やかで透明感あふれる色彩の妙が、流麻二果さんの持ち味だ。一見すると美麗な抽象画のようだが、実は着想の源は「ひと」だという。
「たまたま電車で隣に座ったり、街角で休憩していたりする見知らぬ人たちが、絵を描く源になっています。私にとっては他人である彼らが、どんな日々を送っているのかという想像、またそこで感じた“空気”のような何か。自分の中でストックのように貯まっていくそれらが、個々の絵に反映されています」
もともと人間観察が好きで、外見から察することができる背景などが、自分と距離のありそうな人のほうが気になるという。その筆が描く重なりあう色の世界は、見る角度や光の具合でニュアンスを変え、より見えてくる部分、逆に見えなくなる部分も。流さんはそれを「わかりきらない面白さ」と説明するが、彼女が人間そのものに抱く想いでもあるのだろう。かつては具象的な人の姿も描いたが、やがて今のスタイルが主となっていった。
人間観察への興味は、遡れば「いわゆる“勤め人”がまわりにいない環境」で育ったこととも関係していそうだ。
「父は彫刻家(著名作家の流政之さん)、母は演劇関係の仕事をしていて、そうした環境は豊かな刺激をくれたと思います。一方で、学校に通いだしたころから、どうも自分の家はみんなとはちょっと違うらしい、と感じはじめました。そこから心配と興味が半々という感じで(笑)、“ほかのひと”への関心が強くなった気がします」
たとえば旅に出るにしても、美食や絶景より、誰かに会いに行くのが一番の目的になるという。ただ、距離が縮まった人々は自然と“観察の対象”からは外れていくというから、人付き合い上はバランスがとれている? 「人間観察が趣味なんて言うと警戒されてしまいそうですが、こういう形で作品として昇華できるようになって良かったと思っています」と流さんは微笑む。
出会いがつくりだす新色相
そんな彼女にとって、自らを見つめなおす際にも「距離感」は重要だったのだろうか。2002年に文化庁在外研修員としてニューヨークに渡ったのを機に、6年間、現地で活動した。かつて本人はその動機を「外から自分を見たくなったから」と答えている。
「大学までは、伸び伸びと好きなように描いてきて、その後も割とトントン拍子でやってこられた感覚がありました。ニューヨーク滞在は、アートのど真ん中を見てみたいという想いに加え、一度は“甘くない場所”を経験したい気持ちがあったからです。実際、アートに関する日本と欧米の成熟度の差を肌で感じたし、多くの才能や野心が集う中で、何をするにも周囲をかきわけていかねばならない世界を体験しました」
自らが「他者」である環境で制作と発表を続けつつ、この街ならではの出会いを求めた。そのひとつが、戦後アメリカの抽象絵画を代表する作家、フランク・ステラのスタジオでのインターンだ。彼の創作の源ともいえる、大量のドローイングのアーカイブ化を担当した。
「何か手伝わせてほしいと頼み込み、向こうは“では一カ月後にまた連絡を”とつれない感じでしたが、その通りに何度も連絡しつづけました。これは何かをやらせるまで諦めないなと思われたのか(笑)、その仕事に関われることになったんです。未発表のドローイングの数々を整理するうちに、彼の絵画が生まれるまでの成り立ちや思考が垣間みられました。それは、ニューヨークで行き詰まりそうになっていた自分の創作を再開するうえで、貴重な体験になりましたね」
美術の世界を超えた出会いもあった。ニューヨークのロウアー・イースト・サイドでファッションを軸に活動する「Art Fiend Foundation」との協働だ。絵画を描くキャンバスも、衣服の起点になるのも、「布」という共通点がある。そこで流さんは6人のファッションデザイナーとコラボし、「着る絵画/着ない衣服」というキーワードでその関係性をさぐる作品「The Boundaries(境界線)」(2005年)に挑んだ(なおそこには、後にアヴァンギャルドな衣服づくりで大きな注目を浴びることになるアンリアレイジの森永邦彦さんも、唯一の日本人デザイナーとして参加していた)。
「外界を自分の中で噛み砕いて想像/創造することが軸になるのは、私の中で常に変わっていません。でも、引きこもっているだけだと自分の中にあるものが尽きてしまうとも思う。逆に言うと、私はそうならないほどの“肉厚”な表現者にはまだなれていない、ということかもしれませんが、いまは多様な新陳代謝もしながら創作していきたいと思っています」
その言葉は、トルコの大地震(2011年)を機に現地で行った裁縫画ワークショップや、東北を中心に子どもたちと美術でふれあうプロジェクト「一時画伯」の発案にもつながる。東日本大震災の被災地を訪ねた経験は、これまで描いてこなかった“自然”や“風景”を、自分の中で受け止めて作品化する転機にもなった。さらに近年は、これまでインスタレーションなどで挑んできた、絵画と空間の関係づくりも新境地に向かっている。
「もともと絵には、壁に1点かけるだけで空気感を変える力があると信じています。さらに四角いキャンバスにとらわれない表現なども含め、人々が絵の中に入っていけるような体験ができたら、という想いも生まれてきました」
2014年には港区立麻布図書館のアートワークと色彩監修を担当。全長10メートルにも及ぶ大壁画や、各フロアで四季をコンセプトに空間の色彩づくりを手がけた。また今夏には、アートギャラリーの作品展示空間でダンサーがパフォーマンスする初の試みも行われた。
見知らぬ「ひと」の観察から始まった表現は、こうして多くの「ひと」と共有されていく。そして、私たちはその作品世界に、自分自身の気配を見つけることもできるかもしれない。