理念だけでは開かれない「医療ビジネス」成功への道のり|MacFan

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理念だけでは開かれない「医療ビジネス」成功への道のり

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。医療の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

ヘルスケアアプリや遠隔診療など、テクノロジーの発達を背景に医療ビジネスが盛り上がりを見せている。
しかし、社会に大きなインパクトを与えるプロダクトは世界的に見てもまだ生まれていない。
今、着実に「成功」への道のりを歩む日本のベンチャー企業に、その理由を聞いた。

 

エビデンスの重要性

かつて、アップルの「次の一手」は電気自動車と医療機器とささやかれた。同社の異業種参入によるイノベーションに期待が集まったが、その後、進行中だった自動車開発プロジェクトが大幅に縮小されたことはすでに各所で報道されている。一方、米IBMと医療分野で提携し、アップルウォッチから収集した患者データを人工知能「ワトソン(Watson)」で分析する取り組みは現在も継続中だ。

しかし、アップルウォッチがイノベーティブな_医療機器_かといえば、それは違うだろう。発表前に噂された多様なヘルスケア関係のセンサは、心拍計測などのシンプルな機能を除き、搭載されていない。一説には、FDA(アメリカ食品医薬局)の認証が壁となり、搭載が見送られたともいわれている。2017年2月現在、アップルから画期的な医療機器はまだ発表されていない状況だ。

日本でも次々に新しい医療ビジネスが生まれてはニュースになる。しかし、それによりわれわれの生活に変化があったかといえば、「さほど実感はない」というのが正直なところではないだろうか。このように、医療ビジネスへの参入がなかなか進まないのはなぜか。その原因について考えるために、医療系アプリ開発やサービスを展開する株式会社アルムを訪ねた。

同社は2001年に設立された、もともとはデジタルコンテンツ配信ソリューションを提供するソフトウェアの開発会社だ。2013年までに同事業を譲渡・承継し、2014年に本格的に医療分野に参入。同年に第一種医療機器製造販売業を許可されている。代表の坂野哲平氏は、これまでの豊富な事業経験から「ITを日本の医療業界に持ち込んだとき、何をすればビジネスとして成立するか」を常に考えているという。

「“血糖値測定用ウェアラブル端末”のようなIoT医療機器はわかりやすい事例です。これは結局“誰が端末代やアプリ代を払うのか”がネックになります。当たり前のことですが、維持費や宣伝費を回収できなければ、ビジネスとしては存続できません。そのすべてをユーザに求めても採算がとれないのは自明ですが、スポンサーとしてすぐに思いつきそうな製薬会社や健康保険組合にも、支援をするメリットはないんです」

製薬会社はプロモーションに、健康保険組合は負担する医療費の抑制になり、一見ともにメリットがありそうなものだが、実はそれは誤りだという。まず、このようなデバイスを利用するユーザは、もともと健康志向が高いため、プロモーションの効果が低い。さらに、このようなデバイスを利用することによって、「寝た子を起こす」ように病気の予備軍が治療を必要とすることになれば、医療費はかえって増大してしまうのだ。

「だから、この分野にはIT化するエビデンス(根拠)がなく、お金が流れにくい。そのアプローチは苦しいなと思い、私たちはほかの分野を探しました。そこで目をつけたのが、病院の中での通信手段です。いまだにPHSや、アメリカではポケベルが利用されている現場に、スマートフォンを導入するとどうなるでしょう。改善状況が数値化できる。つまり、エビデンスがある。エビデンスがあればお金が流れ、ビジネスが成立するんです」

 

 

「すべての医療を支える会社(All Medical)」として、人と医療と介護をつなぐ「Shaping Healthcare」をコーポレートメッセージに掲げる株式会社アルム。事業領域はソフトウェア開発から医療機器の製造、新興国の医師教育まで幅広い。

 

 

代表取締役社長の坂野哲平氏。2001年に有限会社スキルアップジャパンを創業。同社を2015年に株式会社アルムへ商号変更。

 

 

命に関わる一分一秒を生み出す

同社がモバイルヘルス領域に見込む2020年の市場規模はなんと6兆円。そこで生まれたのが「ジョイン(Join)」だ。東京慈恵医科大学と共同開発した医療関係者用コミュニケーションアプリで、チャット機能は業務連絡だけでなく、院内システムと連係、X線写真やCT・MRIの画像を院内外で共有できる。病室や手術室のライブ映像や特定の患者のバイタルサイン(心電図など)を遠隔で確認することも可能だ。

このアプリは、脳卒中や心筋梗塞といった(迅速な診断・治療がなされなければならない)急性期領域の診療インフラとして、医療系ソフトウェアとしては日本で初めて、公的医療保険の適用を受けている。一分一秒を争う現場にスマートフォンを活用したこのようなネットワークがあれば、命が救われる患者が増えるためだ。同大学での実績では、診断時間が平均40分短縮され、死亡率も大幅に低下したという。

「(糖尿病など)慢性期の医療を改善できればインパクトはありますが、長期の服薬やリハビリが必要な分野ではなかなか難しい。一方、急性期なら、ITによって今まで為す術がなく亡くなっていた患者さんが社会に復帰できる。医療経済の観点からいえば、亡くなってしまうと売上はゼロです。しかし、すぐに診断がつき、救命されれば、売上につながる。だから、製薬会社や医療機器メーカーも後方支援をしてくれます」

2012年のWHOの発表によれば、脳卒中・心筋梗塞は人類の死亡原因のトップで、毎年1400万人が死亡している。日本でも医療費のうち5~10%を占めるが、これらは早期発見できれば予後のいい病気でもあり、医療費も削減されることが予想される。つまり、患者の命が救われ、製薬会社などは売上が上がり、医療費は全体として抑制されるという、三方よしのビジネスモデルだ。

現在、日本で公的医療保険が適用されているのは、脳の急性期領域のみ。同社はこの適用範囲を循環器科や産科、小児科など、その他の急性期領域に拡大するため、エビデンスを集積している段階だ。「医療ビジネスは国ごとに市場のプレーヤーが違う。日本では公的保険の中でほとんどの医療行為が行われているので、公的保険の中でポジションを取ることが非常に重要です」と坂野氏はいう。

 

 

医療関係者向けにさまざまな機能を搭載しているアプリ「ジョイン(Join)」。X線やCT、MRIなどの医用画像も院内外で共有できる。

 

 

フランスのニースで行われた医療系イベントでも、ジョインが紹介された。このように、アルムが手がける医療ビジネスは世界規模で展開されている。

 

 

医療ビジネス成功のカギ

しかし、どんなサービスであれ、ユーザが増加しなければ、ビジネスとしては頭打ちになってしまうだろう。医療業界に寄り添うだけでは発展性に欠けるのではないか。坂野氏は同社の無料アプリで、救急処置ガイドやAED・医療施設検索、カルテ情報管理ができる「MySOS」を例に、患者側からユーザを獲得するためのアプローチを次のように説明する。

「『MySOS』には“マイ保険”という、無料で保険に加入できる機能があります。これに登録すると、日常生活におけるケガが原因で3日以上入院した場合、2万円の入院一時金をもらうことができます。無料保険には補償期間がありますが、その間に保険会社などからアドバイスを受けてご自身に最適な保険に有料で加入することもできます。もちろん、興味がなければ無料のままでOKというシステムです。当社は有料の保険に加入した場合の保険料からキックバックをもらい、運営に回しています」

坂野氏は「一般の人たちにこのようなサービスを利用してもらうには、まずはインセンティブありき」だという。「あるといいよね」くらいのモチベーションでは実際にダウンロードしてもらうのは難しいが、メリットさえあれば自分だけでなく自分の親のためにもダウンロードするものだそう。利用者の母数を増やすために、同社では行政にも同アプリをアピールし、公的機関による救命講習などで紹介される事例も増加しているという。

医療ビジネスを戦略的に行う坂野氏の元には、時折、医療ビジネスを志す人が相談にやってくる。しかし、多くの場合、「一人でも多くの命を救いたい」というように理念だけが先行し、マネタイズの目処がついていない。そのため、日本の医療ビジネスを発展させるためには「投資ファンドなどの金融業界が体制を整備することが必要」だという。

「もし、途中で事業撤退することになれば、患者や医療者側にも迷惑がかかります。だから、財政基盤を確立することが先決です。行政の承認が必要な事業は、収益化まで少なくとも3年は必要。複雑多岐に渡る医療機器の承認フローをステージごとに切り分け、それぞれについて強みを持つ投資ファンドやベンチャーキャピタルが適切に投資をしつつ、医療ビジネスを支援するシステムが理想です」

アルムは事業売却により潤沢なキャッシュがあった点で他社と異なるが、独力で成功への道のりを歩む坂野氏だからこそ、その言葉には説得力がある。「医療機器の投資対効果は高いので、医療ビジネスに投資しやすい環境が実現できれば、事業は十分に成り立つ」と坂野氏はいう。医療ビジネスはあくまでも「ビジネス」。その上で「医療」とバランスを取りながら進めることが、成功への近道であり、王道といえそうだ。

 

 

救命・救急補助スマートフォンアプリ「MySOS」。倒れている人を発見したときの一次救命処置の流れをガイドし、救援依頼の通話や、付近のAED・医療施設の検索ができる。また、「マイカルテ」として自分自身のカルテ情報を登録しておき、健康診断結果などをいつでもスマートフォン上で確認できる。

 

 

MySOS

【開発】 Allm Inc.
【価格】無料
【カテゴリ】App Store>メディカル

 

 

 

MySOSには、無料で保険に加入できる「マイ保険」機能が備わっている。登録すると、入院した際に掛け金0で2万円の入院一時金をもらうことができるのが特徴だ(補償期間あり)。