発達障がい児向けアプリで「もう歯医者さんは怖くない!」|MacFan

教育・医療・Biz iOS導入事例

発達障がい児向けアプリで「もう歯医者さんは怖くない!」

文●木村菱治

音や刺激に敏感な発達障がい児は、歯科治療でパニックになってしまうことが多い。しかし、適切な方法で治療手順を説明してあげることでパニックを防止できる場合がある。「はっするでんたー」は、iPadを使って歯科医療の怖さを和らげるアプリだ。

 

発達障がい者の歯科受診を支援するアプリ「はっするでんたー」。歯科医向けバージョンの発売は2015年4月を予定。その他詳細は、はっするでんたーのWEBサイトへ。【URL】http://hustle.microbrain.jp/

 

発達障がいと歯科治療

マイクロブレインが開発中の「はっするでんたー」は、自閉症などの発達障がいを持つ子どもに歯科治療を行う際に、治療内容をわかりやすく説明するためのiOSアプリだ。はっするでんたーの開発者であり、自身も自閉症の子を持つ親である同社取締役・金子訓隆氏は、自閉症と歯科治療の関係について次のように説明する。

「自閉症という障がいには、物事の得手不得手や感覚の鋭い鈍いといったデコボコが極端に大きいという特徴があります。その感覚がものすごく研ぎ澄まされているときには、わずかな音でも耳を塞いでうずくまるほどの恐怖に襲われますし、中にはシャワーの水が針で刺されるような痛みに感じられる人もいます。もともと歯科治療の音や刺激は普通の人にとっても心地よいものではないでしょうが、特に自閉症の子どもの場合は普通の人の何十倍も嫌な思いをしてしまうのです」

こういった背景から、自閉症児は歯科治療中にパニックに陥ってしまい、安全な治療が難しいことがあるという。しかし、障がい者歯科治療の研究では、一部の自閉症の子どもに対して、事前にどんな器具を使い、どんな手順で治療をするのかをわかりやすく説明することで、不安を和らげ安全に治療できることがわかってきている。

自閉症児は視覚優位の場合、絵での理解が得意なため、手順説明にはイラストや写真を使った「絵カード」が使われる。はっするでんたーは、この絵カードをiPad上でデジタル化したものだ。

 

 

はっするでんたーの画面。絵と音で治療手順を細かく具体的に説明することが、発達障がいを持つ患者には重要だ。

 

 

カウントダウン機能。口を開けている時間がはっきりすることで、患者が安心するという。

 

 

画面右には、キャラクターからの応援が音声付きで表示される。男の子向けと女の子向けの2種類用意されている。

 

不安を和らげるための工夫

はっするでんたーは、電子紙芝居のような作りで、治療内容を子どもにも親しみやすいタッチで描いたカードが多数収録されている。医師はあらかじめアプリ内の編集機能を使い、治療過程に沿って絵カードを並べたセットを作っておく。カードはタッチ操作で順番に表示することができ、治療前の説明に加え、治療中も次に何をするのかを常に画面に表示しておくことができる。そうすると、患者は先の見通しが立ち、不安が軽減されるのだ。

アプリの基本的な仕組みはシンプルだが、そこには発達障がい児の特性を踏まえた、さまざまな工夫が組み込まれているのがわかる。

まず特徴的なのが、治療過程を非常に細かく説明できる点だ。用意されているカードには、「口をゆすいでください」「背もたれを倒します」「口を大きく開けてください」「この道具を使います」といった、通常なら医師の一言で済ませてしまうような手順が記されている。

より具体的に見せたい場合には、iPadのカメラで撮影した写真や動画を使って独自のカードを作ることも可能だ。自閉症の子は細部に強いこだわりを示すことがあり、実物とイラストの色や形が少しでも異なっていると内容がうまく伝わらないことがあるため、このような写真や動画は非常に有効的だ。

「例えば、イラストでは青色だった診察台が実際にはピンクだったりすると、その上に乗ることができなくなるときがあります」

また、機械の音も動画であらかじめ聞かせることでパニックを防ぐ効果があるという。どんな説明が効果的かは患者によって千差万別。使用する医師は患者に合わせて適切なカードを選択・作成する必要がある。

ほかにも、1つの治療にかかる時間をカウントダウンする機能が搭載されている。たとえば口の中を洗浄するときには、まず十秒で口の中を洗うということを教えておき、作業中もアニメーションと音声で時間をカウントダウンする。

「いつまで口を開けていればよいのかがわからないと、不安に襲われてしまいます。時間が明確に可視化されていれば、安心することができるのです」

さらに、治療の要所要所では、画面内の動物キャラクターが音声で「いいぞ、その調子」などと患者を応援したり褒めてくれる。こうして小さな達成感を積み重ねることで、子どもたちは歯科治療に慣れていくことができるそうだ。

開発には、障がい者医療に取り組む多くの医師や専門家が協力しており、こうした機能やカードデザインには、彼らの助言や要求が反映されている。発売に向けて、今後も改良を続けていくとのこと。

 

 

マイクロブレイン取締役・金子訓隆氏。発達障がいの子どもたちを父親の立場から支援するNPO法人「おやじりんく」の代表も努めている。

 

 

金子氏のブログ「マサキング子育て奮闘記」には、自身の子育て体験が書かれている。同じく発達障がいの子どもを持つ親から多くのアクセスがあるという。【URL】http://ameblo.jp/masaking129/

 

 

医療機関向けに作られた発達障がい者の診察ガイド。本稿に登場する伊藤医師が歯科パートを担当している。

 

開発の背景に長男の歯科受診体験

本来、自動車向けの電子機器などを製作しているマイクロブレインが医療向けアプリ開発に乗り出した背景には、金子氏が長男を近くの歯科医院に連れて行ったときの体験がある。初めての歯科治療に驚いた長男は、不安からパニックに陥ってしまった。医師が安全に治療を行うために、体を専用のネットで固定したところ、パニックはさらに大きくなり、嘔吐した食べ物を喉に詰まらせて呼吸困難になってしまったという。

「その医師には悪気があったわけではなく、歯科医としては当然の措置だったのでしょう。しかし、長男はそれ以来、歯科医院に近づくことさえできなくなりました」と金子氏は当時を振り返る。

発達障がいの子どもでも安全に治療を受けられる歯科を探していた金子氏が出会ったのが、日本大学松戸歯学部・特殊歯科の伊藤政之医師だった。伊藤医師は、使う器具を触らせたり、絵カードを使って手順を説明するなどの方法で発達障がい児の不安を取り除いていた。強いトラウマを抱えていた金子氏の長男も、医師たちの根気強いケアによって少しずつ慣れていき、3回目には診察を受けられるようになったという。そしてこのときに使われていた絵カードを見た金子氏は、「もしカードのデジタル化が行えれば作成や管理が容易になり、音や動画も加えられる」と思いつき、開発につながった。

 

 

金子氏の長男の治療風景。使用器具に慣れ、手順について詳しい説明を受けたことで、落ち着いて治療に臨めるようになった。その過程は金子氏のユーチューブチャンネル「金子訓隆」で公開されている。

 

 

紙の絵カードを使っているところ。デジタル化することで、大きく表現力が増し、カードの準備にかかる手間も削減される。

 

【障がい者歯科治療】
障がい者のための歯科医療の研究や支援を行っている組織「日本障害者歯科医療学会」のWEBサイトでは、同会の認定医が開設または勤務している全国の歯科医院、病院などが検索できる。ただ、施設によって対応できる障害の種類に違いがあるので、利用の際には事前に直接確認する必要がある。

 

【補助金】
はっするでんたーは、厚生労働省の公募プロジェクト「障害者自立支援機器等開発促進事業」の1つに選ばれている。支給される補助金がアプリの開発資金となっただけでなく、厚生労働省の認可事業であることで医師や専門家の協力が得やすくなるなど、制度の利用には多くのメリットがあったという。