大震災の傷病者をiPadでスムースに対応|MacFan

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大震災の傷病者をiPadでスムースに対応

文●木村菱治

地震や事故などの緊急事態の際に、正確な情報の収集と整理は非常に重要だ。しかし、混乱する現場においてそれを実行することはとても難しい。昭和大学病院では、iPadとファイルメーカーを使って、災害時の傷病者の情報を把握できるシステムを独自に開発した。

 

トリアージタグ。患者の重症度に応じて、緑から黒まで4段階で判定。例えば赤判定なら、黄色と緑のタグを切り離す。

 

より多くの命を救うトリアージ

2014年9月1日、昭和大学病院の救急救命センターは、80人の「患者役」とそれに対応する病院のスタッフでごったがえしていた。「防災の日」である今日は全国各地で防災訓練が実施されることになっており、東京都の災害拠点病院の1つである同病院も、首都圏で大きな地震が発生し、多数の傷病者が押し寄せたという想定で訓練を行っていた。病院内の医師や看護師、事務職員だけでなく、患者役の看護学生、さらに応援で駆けつけた設定のスタッフも含め、総勢200名以上が訓練に参加していた。

病院に運び込まれたという設定の患者役は、いったん救命センターの入り口で医師による「トリアージ判定」を受ける。トリアージとは、非常事態において限られた医療資源を最大限に活用するために、治療の優先順位を決めることだ。スタッフや機材、医薬品に限りがある状況で、すべての傷病者を無条件に治療することは不可能。軽傷者で病院内が一杯になり、重傷者の治療ができなくなるといった事態も起こり得る。そこで、緊急時には治療を行う前に病気やケガの重症度や緊急度によって、治療や搬送の優先順位が決められる。トリアージは、全体として1人でも多くの命を救うために考え出された、非常時ならではの手法である。

このトリアージ判定の記録には、「トリアージタグ」というカードが使われる。タグには優先順位を示す赤(重症)、黄(中等症)、緑(軽症)、黒(死亡/救命不可能)の4つの色が付いており、担当医師は必要事項を記入後、判定結果の色が残るようにタグを切り取って患者の体に付けておく。訓練では、赤・黄の判定を受けた傷病者はそれぞれの専用エリアに搬送され、より詳しい二次トリアージと診察・治療を受けていた。

 

 

患者役には、それぞれ異なる症状が設定されている。症状に合わせて正しくトリアージ判定できるかも訓練の1つだ。

 

 

災害本部のプロジェクタには現在の患者数や手術室やICUの待機状態などがリアルタイムで映し出される。

 

iPadで患者情報を記録

現場には、傷病者の顔とトリアージタグをiPadで撮影しているスタッフがいた。彼らが行っているのは、「災害トリアージ情報共有システム」へのデータ入力である。これは、傷病者の数と重症度、名前、顔、履歴といった重要な情報をリアルタイムに集計するために、同病院が開発したシステムだ。今回の訓練の大きな目的の1つが、この検証だった。

災害トリアージ情報共有システムは「ファイルメーカープロ」で作られており、iPadからは「ファイルメーカーGO」でアクセスする。入力フォームには撮影機能があり、担当者はトリアージが終わると、iPadのカメラを使って患者の顔写真とトリアージタグの両面を撮影する。データベースからは、患者ごとに「災害ID」という管理番号が発行されるので、これを手書きでタグに記入する。これでiPadの作業は終了。所要時間は1分ほどだ。赤・黄の傷病者専用エリアでは、より詳しい情報に加え、手術室やICUへの待機登録、病院内外への移動先なども入力される。iPad上で入力された情報は、Wi−Fi経由で病院内のサーバに蓄積されていく。

もちろん、画像のままではデータベースならではの集計や検索が行えない。画像に映っている文字情報は、別の場所に待機しているスタッフがパソコンで手入力する。この日は、3人の事務職員がこの作業を担当。パソコンからシステムにアクセスして、画像データの文字を読み取ってテキストデータ化していった。

こうしてシステム上に一元化された情報は、災害対策本部のプロジェクタ画面や、現場指揮所のiPadに配信され、現在の患者数や重軽傷者の割合などがリアルタイムに把握できる。また、システムには搬入患者の氏名リスト作成機能が備っており、行方不明者を探す家族や報道関係者向けの情報提供にも使える。

なお、iPadの入力を担当した医師は訓練開始直後に予告なしで選出され、その場で簡単なレクチャーを受けただけだ。「できるかなぁ」と不安そうな表情も見受けられたが、いざトリアージが始まると、操作に迷うような様子はほとんど見られず、すぐに使い方に慣れていたようだった。若干のトラブルや課題は見つかったものの、システムはほぼ想定どおりの機能を発揮。約50分で80人の傷病者のトリアージと初期治療を完了した。

同病院救急医学科の三宅康史教授・救命救急センター長は今回の訓練について、「雨という気象条件もあって、非常に臨場感のある訓練になりました。その中でどれだけIT機器が使えるか、緊迫した状況できちんとタグが記入できるかといった点も検証することができました」と総括した。

 

 

災害トリアージ情報共有システムのiPad用のトップ画面。

 

 

iPad入力の担当者を指名し、その場で使い方をレクチャーする。アプリは初めて使う人を前提に作られている。

 

 

入力担当者は、iPadで撮影された画像をみて、タグ上の文字情報をデータベースに入力していく。

 

書き+遠隔入力の採用理由

同病院救急医学科の田中啓司医師は、トリアージタグ情報のデジタル化は、災害医療における重要な課題だと語る。

「医療機関が適切な対応を行うには、何よりも正確な情報が必要です。そのために、トリアージタグの情報を集めてリスト化をするのですが、過去の事例を見ても、混乱している現場ではなかなかうまくいかないのが実状です」

同病院救急医学科の山下智幸医師は、「従来は、タグの控えを集めてきて手作業で表を作成していました。しかし、表に書き足しながら情報共有するのは物理的に無理があります。その部分をデジタルでサポートしようというのが、このシステムの基本的な考え方です。リアルタイムに情報を共有できるメリットはとても大きいです」と話す。

このシステムのユニークな点は、第一にトリアージの現場からテキスト入力作業を切り離したこと。第二に、すべて汎用品(紙のトリアージタグ、iPad、パソコン、ファイルメーカー)で構成されていることだ。この方式を採用した理由について、システムを開発した同大学医学部医学科6年生の鷺坂彰吾氏は、次のように解説する。

「現場でタブレットによる文字入力を行うのは、よほど操作になれた人でないと難しく、担当者の大きな負担になります。それよりも、現場では手書きで素早く処理し、入力は後方のパソコンに任せたほうがより効率的だと考えました。病院の事務職員なら、普段から医学用語の入力に慣れていますから」

また、汎用品の組み合わせは耐災害性を高め、低コストを実現できるという。

「年に1度の訓練でしか使わない災害専用のシステムは、いざというときに動かないことがあります。今回使用したiPadやパソコンは、病院の通常業務にも使用していますから、その心配がありません。また、万が一システムがまったく使えない状況になっても、最低限、紙タグでのトリアージは続行できます。すべて汎用品なので、非接触ICカードや電子ペンを使うより導入コストを大幅に低く抑えられました」

もちろん、非接触ICカードや電子ペンにも優れた点があるが、導入には多額のコストがかかる。お金をかければいくらでもよいシステムは作れるが、実際に災害専用のシステムに多額の予算をかけられる病院は多くないという。

 

 

昭和大学病院救急医学科
山下智幸医師

 

 

トリアージタグと患者の顔写真をiPadのカメラで撮影。データベースから付与された災害患者IDをタグに転記する。iPadでの作業はシンプルだ。

 

震災ボランティアの経験を元に

システムはファイルメーカープロを使って、医学生である鷺坂氏が救急救命センターの医師を中心とした病院職員と共同開発したというから驚きだ。元々、救急医療を志望していた鷺坂氏は、東日本大震災のボランティア活動に参加した際、ファイルメーカーを使って避難所の名簿管理システムを構築したそうだ。その経験が本システムの開発につながった。

「ゼロからこういうシステムを構築するのは、ITと医療、両方の知識を持った人でないと難しかったでしょう」と山下医師は振り返る。

昭和大学病院では、今回の訓練の検証結果を元に、システムと運用方法を改善し、いつか訪れる災害への備えをさらに充実させていく。

 

 

昭和大学医学部医学科6年生
鷺坂彰吾氏

 

 

入力されたデータはその場で参照できるほか、その後の処置などを追加できる。記録は履歴として残るため、状態の変化を確認しやすい。

 

【START法】
トリアージ判定をできるだけ客観的かつ素早く行うための手法が「START法」だ。歩けるか、呼吸の有無、呼吸の回数、脈拍・心拍数、簡単な指示に応じるか、という5つの項目を順番にチェックすることでトリアージ区分を決める。

 

【電子化】
よりデジタル度の高いトリアージタグ情報の電子化手法としては、非接触ICカードをトリアージタグとして使い、タブレットやスマホからデータを読み書きする方法が挙げられる。ほかにも、筆跡を記録できるデジタルペンを使うもの、手書き文字をOCRでデジタル化するものなどさまざまな方式がある。