ユーザエクスペリエンスが肝の「教育の情報化」|MacFan

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ユーザエクスペリエンスが肝の「教育の情報化」

文●山脇智志

デジタル端末の教育での利用が喧しい現在において、忘れてはならないのが教員の利活用だ。教員養成の最前線で「教育の情報化」を担ってきた大学教員は、これまで、そしてこれからをどう見据えているのか?新潟県にある上越教育大学での取り組みを取材した。

教育の情報化。これほど使い古された言葉はなく、しかしこれほど未来において意味のある言葉もない。大衆への教育である公教育が歴史上に現れて以来、人間として、さらに国民国家における一員となるべくして、教育は提供されてきた。しかし、IT時代の到来がすべてを変えた今、教育、特に小学校や中学校での義務教育における変化は、まさにダイナミクスというべき様相を呈している。その鍵になるのが、教員によるデジタル教育への理解、そしてキャッチアップだ。

 

 

 

新潟県上越市にある上越教育大学(http://www.juen.ac.jp/)は周囲を緑に囲まれたキャンパス。キャンパスのどこでもWi-Fiが利用可能。

 

教育の変革はUXから

国立大学法人上越教育大学(以下、上越教育大学)は、甲信越地域における教員養成およびその研究において中心的役割を担ってきた。同大学で「教育の情報化」を最前線で広めるのが、同大学院の大森康正准教授である。

大森准教授は現在、初等教育・中等教育におけるデジタル端末を利用した新たな教育の研究と、学生への講義を行う。特にiPadに関しては、単なるタブレット端末以上の可能性を感じているそうだ。自身もMacやiPhone、そしてiPadを教育に導入してきた中で、特にアップル製品が通じて持つ「ユーザエクスペリエンス(UX)」への徹底的なこだわりに興味があるという。

「初めてMacintosh Plusを触ったのは1986年だったと思います。衝撃的でした。3.5インチのフロッピーディスクで動き、ペイントやドローソフトを使ったときの感激は忘れられません。当時は、研究室に1台導入されていただけでしたが、所属していた研究室の教授は、これからの時代はGUI(グラフィカルユーザインターフェイス)が重要で、よいものを体験しなければそれ以上の発想は生まれないという考えを持っていたため、学生の立場でも高価なMacを気軽に使わせてもらいました」

では、現在の上越教育大学の学生はどのような意識を持っているのだろうか?

「残念ながら入学直後は、デジタル教育時代に対して懐疑的な学生が多くいます。それは、それまでそういった教育を受けてきていないからだと思います。デジタル教育時代の優れたUXを体験していないので、それ以上の発想や可能性を見い出すことが難しいのでしょう。

しかし、その後、大学の授業などでデジタル教育に遭遇すると変わります。今年7月に家庭科の免許を取得するための科目を担当したのですが、その際に初心者向けのプログラミング言語『スクラッチ(Scratch)』で家庭科の教材を作る授業をしました。スクラッチの使い方を簡単に教え、教材作成を行ったのですが、コンピュータの本来の可能性を知り、学生たちはびっくりしたようです。また、司書教諭科目で『情報メディアの活用』を担当したときにはiPadを一人1台渡し、授業資料の配布やノートの作成をiPadで行いました。また、電子書籍の作成も行ったのですが、こんなことができるのかと意識が変わった場面も見受けられました」

大森准教授は、PCとタブレットの導入によって教育の質を変える作用が起きるとみている。

「PC端末とタブレット端末の導入によって、従来の集合教育から反転授業、個別学習(自学自習)、恊働学習へと教育の形態が変わっていきます。すべてにおいて、個々の生徒は自分のペースで学習が可能となり、また仲間と情報を共有することで、自身の学習活動の効率化が図れるようになるでしょう。必然的に教員の役割も変わるはずです。個別学習、恊働学習などの変化に則して、ファシリテーターでありコーチングを行うコーチとしての役割を担うことが教員の仕事になると思います」

よいテクノロジーがあっても生徒、教員の意欲や発想がないと何も変わらないという現実は、特に教育に限った話ではない。それでも意欲や発想は、優れたUXによってでしか生まれないと大森准教授は感じている。ハードウェアやアプリのUXのみならず、実際に受けた教育あるいは実際に行った授業のUXといえるようなものが非常に重要だ。

 

 

技術科における授業の1コマ。学生はiPadのノートアプリを使い、授業資料にマーカーを入れたり、メモを入れて自分の資料を作って共有する作業を行う。

 

【Scratch】
米MITメディアラボが開発したスクラッチ(http://scratch.mit.edu/)は、アラン・ケイ博士が作ったオブジェクト指向プログラミング言語「スクイーク(Squeak Etoys)」をベースに開発されたプログラミング環境。視覚的にわかりやすいプログラミングができるため、プログラミングの入門編に向いている。

 

教員の意識を変える秘訣

では、大学全体のIT化はどうだろうか。同大学において学内のデジタル化を担うのは、情報メディア教育支援センターだ。平成5年に学内共同利用施設として情報化社会に対応できる教員養成のための実践的な情報処理教育の拡大を基本理念として設置され、平成14年に学内では「講義支援システム」と呼ばれているLMS(学習管理システム)を導入。平成16年度から学内無線LANの整備を開始し、現在は全教室だけでなく、体育館・グランド・大学会館・食堂・図書館など、学生が授業などで使う場所のすべてをカバーしている。

また、平成17年度には教員養成・研修用のeラーニングコンテンツの作成などの取り組みを3年計画で実施。平成24年度からは学内クラウド基盤の構築とモバイルラーニングプラットフォームの導入など新しい教育の情報化にも対応させる。

こうした活動で見えてきたことは、機器の導入をしただけでは「即、教育のデジタル化」にはつながらないということだ。教員は一部を除き、よいものと思っても変革を求められるものに対して自ら積極的に利用しない傾向にある。大森准教授によると、教員が変わるきっかけは「各種システムや機器の利用は学生が便利だと感じ、使ってみたいと思うこと」だ。そこでも、UXが重要であり、その条件をクリアした「よいもの」は徐々に浸透しはじめ、ある程度使われるとネットワークの外部性が働き、学内で一挙に利用者が増える。

教員養成大学の授業は、実践の場が初等・中等教育であることから、ここの現場の情報化、つまり端末の導入やコンテンツのデジタル化が進まないと難しい。本来、大学の教員養成が進んで情報化を行うことで、初等・中等教育へ波及することが望ましいが、このサイクルがうまく回らないのがこれまでの現状だ。ただし、じっくりではあるが確実に教員の意識は変わりつつあるのも確からしい。

 

 

iPadで作成したデジタル教材を使った発表や模擬授業の風景。知的学習支援環境に関する実証実験はアンドロイドとiPadの両方を用いたそうだが、アンドロイドタブレットは、端末の性能と使えるアプリの種類に制限があり、現時点ではiPadが最適であると判断したそうだ。

 

良質な実践事例の必要性

デジタルを用いて新たな公教育の可能性を探る大森准教授が今後注目しているのは、新しいカタチでの「技術・家庭」の授業であり、そこでの中心はプログラミングや3Dプリンタを用いた「新しいモノづくり」だ。

「本年度より『子どもたちに21世紀を生き抜く力を提供するために必要な新しいものづくり教育』を研究課題に据えています。初等・中等教育においてプログラミング教育とデジタルファブリケーション教育を取り入れるための体系的なカリキュラムの作成と、指導方法の開発を行い、それを支援するブレンデッド・ラーニングシステムの開発を行うことを目的とします。すでに小学生4年生から6年生を対象とした教育カリキュラムを検討し、その一部を大学にて公開講座および、長野県長野市にある『ギークラボ・ナガノ(GEEKLAB.NAGANO)』で小学生を集めた授業を行っています。プログラミング教育用の機材は、『ラズベリー・パイ(Raspberry Pi)』(プログラミング教育用の小型コンピュータ)とiPadを活用しています」

また、平成27年度から学部1年生の必修科目の中にプログラミング教育基礎演習を開講するほか、学部2年生から技術の開講科目としてパイソン(python)などを使いプログラミング教育も行うそうだ。ここでもiPadの活用を検討している。

「現在の公教育におけるプログラミング教育は、中学校技術家庭科の『情報とコンピュータ』の領域の一部『プログラムによる計測制御』として行われています。義務教育の間で、おそらく10時間程度しか実施されません。佐賀県武雄市などでプログラミング教育を取り入れる試みが始まっていますが、このような先進地域を除き、現時点ではほとんど行われていないのが実態です。

公教育においてプログラミング教育を普及させるためには、学習指導要領に組み込まれなければなりません。そのためには、良質な実践事例を増やしていくことが重要だと思います。この動きを押し進めていくには、各地での子ども向けのプログラミング教育の実績、公教育での実践事例が重要です。私たちもそれらを増やすことで、新たな教育の構築に貢献していければと考えています」

 

 

大森研究室で作成した生物育成学習支援のトマト育成シミュレータの画面。技術科の栽培領域の授業にもこのようにITを採り入れることで、21世紀に相応しい教育の在り方を目指している。なお、教員もプログラミング教育に対応する必要性があることから、教員養成学部おいてのプログラミング教育とその指導方法についても検討している。

 

 

大森准教授は、全学対象の情報教育関係の授業、中学校技術・家庭科の情報領域の授業も担当。映画「二十四の瞳」や最近では「魔女の宅急便」の舞台となった香川県・小豆島出身。

 

【Geek】
ギークラボ・ナガノ(http://geeklab-nagano.com/)は、ITを中心としたエンジニアやそれを目指すための秘密基地。長野市内および周辺におけるテクノロジーに関する知識やノウハウなどの集積基地を目指している。

 

文●山脇智志

ニューヨークでの留学、就職、起業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。 現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。【URL】http://www.castalia.co.jp/