次世代看護教育はデジタル教科書で「観て」学ぶ|MacFan

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次世代看護教育はデジタル教科書で「観て」学ぶ

文●山脇智志

医療における教育ではビジュアル情報が大きな意味を持ち、タブレット端末やデジタル教科書の「意義」がよりストレートに表れる。香川県高松市にある専門学校、穴吹医療大学校が取り組む新たな看護教育の実態に迫る。

 

 

高松駅にほど近い穴吹医療大学校(URL http://www.anabuki-college.net/amk/)は、中四国最大の専門学校グループである穴吹カレッジグループの医療系中核校。看護学科の2014年4月入学の新入学生よりiPadの配付を始めた。機種はiPadエアのWi-Fiモデル(32GB)、同学校の看護学科の導入構成は4年制の通学生が90名、2年制の通信生が226名(10年以上の看護経験を持つ准看護師が対象)、そして先生の13台の合わせて329台となる。来年度以降も継続していく予定だ。

 

iPad導入のうれしい誤算

看護の世界は今変わりつつある。だから看護教育の世界も変わる必要がある。

本連載でも何度か言及しているが、新たなテクノロジーを採用することは、そのまま何かしらの課題の解決を図ることに直結しているはずであるし、かつそうでなければならない。筆者は、デジタル教科書は紙からデジタルに変えただけの電子書籍化以上の意味合いを持つ必要があると考えている。

香川県高松市にある学校法人穴吹学園穴吹医療大学校は、2014年4月入学の看護学科の学生すべてにiPadを配付し、看護教育のデジタル化を推し進めている。理事・副校長である伊藤慎二郎氏によると、iPadを導入した最大の理由はデジタル教科書の採用にあったという。大阪に本社を置く医学系出版社のメディカ出版が刊行したiPad向けデジタル看護教科書「デジタル ナーシング・グラフィカ」を採用した。

だが、この導入には足掛け3年、さまざまな準備があった。特に教育機関において、「教科書を変える」というのは非日常的なことであり、変えるならば教職員すべてが納得するものでなくてはならなかったからだ。

「教科書を変えるには、シラバス(学習計画)や授業の1コマごとの内容を変えなければなりません。さらには周辺教材も変更せねばならず、教務側の作業量はかなりのものでした。また、iPadの購入や教科書の仕入れ方法の変更もあり、大きなメリットがなければ理解を得られなかったでしょう。導入するまでの2年間は授業研究を繰り返し、実証しながら教務内でも理解を深めていきました」

もちろん、時勢の変化もその後押しとなった。スマホネイティブな生徒たちは、iPadを問題なく受け入れたからだ。「最初は心配したのですが、幸い使い方がわからないという学生はいませんでした。そもそもiPad自体が使いやすいこともありますが、友だち同士で教え合ったりして解決しているようです。この相互作用はある意味、うれしい誤算でしたね」。

iPadが実際の教育において活きるのは動画にあると伊藤氏は語る。というのも、看護を含めた医療教育においては目で見る学習が非常に重要であり、従来の教育の中でも大きなウェイトを占めてきた。授業中に先生が動画を流しながら解説するのに加え、図書室でDVDを貸し出すという2つの方法を採ってきた。

「iPadを使えば学生が自分の好きな時間に、好きな動画を観られますし、デジタル ナーシング・グラフィカであれば教科書の内容に沿って体系的に動画を観ることができます」

また、伊藤氏はデジタル教科書×iPadのメリットとして「圧倒的な情報量とその消化(学習)の効率のよさ」を挙げる。「例えば、実際の授業の中で行う『胃の位置とその構造』を考えてみましょう。内視鏡の映像を観ながら、胃とそこに至るまでの器官を順次学んでいくものです。動きのあるCGや実際の映像を観ることができれば、胃とはどういうものなのか、胃の粘膜はどういう働きをするのかなどが、あたかも自分が胃の中にもいるかのように映像を通して理解できます」。

これを紙の教科書で理解するには、テキストとイメージで10ページ近く必要だ。しかも、学ぶための時間も長く要する。デジタル教科書の動画であれば早く学べるだけでなく、実際のシークエンスを含めて学ぶことでより確実性が増す。先生も動画を使いながら説明しやすくなり、動画をプロジェクタに素早く投影することも可能だ。DVDの準備のために授業が寸断されるようなこともなくなり、授業自体の流れが非常によくなったそうだ。

 

 

デジタル ナーシング・グラフィカで勉強する学生。教材には動画だけでなくテストなども揃っており、自学・自習がしやすいと評価は高い。

 

 

iPad導入を推進した穴吹医療大学校の伊藤副校長・理事。

 

デジタル教科書の有用性

また、看護におけるデジタル教科書が紙に比べて有用ないくつかの理由がある。まず、更新への対応だ。看護に関連するルールは法改正によって決められ、アップデートの頻度が高いが、デジタルならば容易に対応できる。

また、「用語検索」が可能な点もメリットで、特に国家試験対策に有効となる。看護師国家試験の科目は「成人看護学」「老年看護学」など11分野あり、それぞれを独立して学んでいく。しかし、「糖尿病」に関する問題は成人看護学だけでなく、老年看護学でも出題される。つまり、分野を超えて糖尿病を理解することが求められるのだ。既存の紙の教科書ではこのようなキーワードによる分野横断型の学習は困難であるため、デジタル教科書ならではの利点が活きてくる。

デジタル ナーシング・グラフィカは、2012年3月に発売開始され、年度ごとに改変を行い、アプリとして毎年リリースされている。紙の教科書がベースになっているのだが、その数なんと全41巻で総重量が25キロ。それを学校の授業や病院での実習に持ち運ぶことが当たり前だったわけだから、それがiPad1台に収納されただけでも魅力的だ。

しかも、デジタル ナーシング・グラフィカは紙の教科書を電子化しただけでなく、200本以上の動画やのべ3000問の問題、そしてメモ機能などiPadの機能をフル活用している。また、紙であれば14万円ほどするものが、デジタル版だと8万8800円と価格も低く設定されている。

同社の基礎教育部門・基礎教育営業課デジタル ナーシング・グラフィカ サポートを担当する高原剛氏に開発の背景を聞いた。

「教育施設と実習施設は遠距離に位置する場合が多々あり、学生は必要な書籍を抱えていくことになります。そもそも知識を獲得するための一番の方法は、学習者が知識を求めたときに、その内容をタイムリーにその場で提供できることであり、iPadアプリとしてのデジタルナーシング・グラフィカはそれを実現するものです」

看護教育における唯一のデジタル教科書ではあるが、やはり同社においても商品化の面でさまざまな苦労や課題の克服があったそうだ。「目指したのは、講義・演習・実習で使用でき、国家試験にも合格できる教育システムの提供です。既存のビューワアプリだけではそれを実現できないために独自開発に踏み切りました。テキスト内容と国家試験問題とのリンク、学生の成績管理などの管理画面を構築、学生の書き込みの管理・検索など、徹底して学習しやすさを考えたアプリに仕立て、独自に搭載した機能は特許を取得できました」

 

 

学生だけでなく、先生もiPadで授業を行う。学生に動画を用いて説明することで学習効果が高まった。

 

1つの成功を発展に変える

穴吹医療大学校ではiPadをデジタル教科書として利用する以外に授業中のコミュニケーションツールとしても活用している。先生がある質問をして、学生が一斉に答える。これまでは自主的に手を上げるか、先生が当てるかしかなかった。しかし、「クリッカー(Clicker)」アプリを使うことで、今ではテレビのクイズのように先生は質問を出して、学生たちは手元のiPadで○×やコメントを書き込んだりして、授業中に共有することが可能になった。

これは「正解がないような問題」のときに有効だ。医療や看護の世界ではそのような答えのないことも教育の中で行われる。皆がどう考えているかを知ることがある意味、このような内容の授業の「答え」なのかもしれない。これまでの授業形態では先生を含め、学生全員の考えを確認することは困難であった。しかし、今では学生一人一人の興味の領域までわかるようになったという。

iPadというデジタルなインターフェイスは、記録もデジタル化できる。穴吹医療大学校ではiPadの導入と同時に、学生たちのeポートフォリオを作成することを始めた。朝日ネットの「マナバ(manaba)」を利用し、いわゆる「学生の成長記録を残そう」という試みだ。紙を使ったものよりも、確実にデータ量とその分析などが優位点として挙げられる。例えば、外部での病院での実習で外に出るとき、そして帰ってきたときにレポートなどもすべてここで集積しているのだそうだ。

穴吹医療大学校では看護学科だけでなく、他の学科でもiPadを導入した教育を検討している。その教育の性質上、カラーコピーを多用して教材にしているが、そのコストはかなりのものになるらしい。そうであれば、iPadでデジタルコピーを配付することでコストを落とすことができそうだ。今後、伊藤氏は他の学科でも実証研究を進めていく。1つの成功をコアにしてレバレッジを効かせていくこの導入方法は、タブレット端末やデジタル教科書の導入などを検討している他の教育機関にも広まり、認知されるべきだと感じた。

 

 

 

デジタル ナーシング・グラフィカの画面。単に教材を閲覧するだけでなく、自由にメモなどを画面に残すことができる。ページリンク、映像表示、検索(全巻検索)、簡易辞書、マーカー、ノート、メモ、しおり、マイファイル(学習管理)、問題集、テスト管理システムが搭載されている。紙なら持ち運べない全巻もデジタルであればすべてが揃う。

 

【デモ】
メディカ出版が販売するデジタル ナーシング・グラフィカ(http://www2.medica.co.jp/topcontents/digital_ng/)に関しては、同社WEBサイトにて動作デモが公開されており、資料請求が行える。

 

【クリッカー】
クリッカーは、デジタル・ナレッジが開発する講義者と学習者の双方向コミュニケーションを可能にする授業支援ツール(http://www.digital-knowledge.co.jp/service/it/clica/)。学生参加型の双方向授業(アクティブラーニング)を実現できる。

 

文●山脇智志

ニューヨークでの留学、就職、起業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。 現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。【URL】http://www.castalia.co.jp/