【第3回】犀川流域誌―日本アルプス最大の河川― | マイナビブックス

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信州学ライブラリー1

【第3回】犀川流域誌―日本アルプス最大の河川―

2016.11.04 | 市川健夫

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神河内の自然とアルピニズム

 (さい)(がわ)の源流は標高三一八〇メートルの槍ヶ岳に源を発する梓川と高瀬川である。この険しい岩峰からしたたり落ちる雪解け水は槍沢を流れ下っていく。槍沢は穂高岳の涸沢や横尾谷の水を集めて、梓川の清流になる。上高地は横尾谷と槍沢との合流点から、大正池までの長さ一六キロメートルにわたる細長い盆地を指す。この間の梓川の勾配は一〇〇分の一程度で、山間地としては緩流であり、流水量も豊かである。北アルプスの前山である常念山脈と、槍ヶ岳、穂高岳などの奥山に取り囲まれた標高一五〇〇~一六〇〇メートルの上高地の渓谷は、昭和の初めまで日本を代表する秘境であった。現在カミコウチは上高地と書かれているが、上河内・神合地・神河内などとも表記されていた。この中で神々が住む盆地という意味の神河内が、その風土を最も端的に示している。

 一九三三年(昭和八)梓川沿いの上高地線が全通し、河童橋近くまで車の乗り入れが可能になった。それまで信州側から上高地に入るには、安曇村(現松本市)の中心集落である島々から島々谷を遡り、(とく)(ごう)峠(二一三五メートル)を越えて明神池に達するルートがもっぱら用いられていた。一八八五年(明治十八)に安曇村の人たちは国有地を借りて、上高地牧場を開設した。上高地線ができて、入込み客がふえ、牛が危害を加えるおそれがあるというので、牧場が一九三四年(昭和九)に廃止されたことが惜しまれる。梓川の清流、化粧柳などの天然林と牛群が草を喰む風景は、多くのアルピニストを魅惑してきた。

 北アルプスを対象とする中部山岳国立公園は、一九三四年(昭和九)にわが国最初の国立公園として指定を受けた。その代表的な景観は、河童橋あたりから見た穂高連峰や梓川渓谷であり、上高地には毎年二〇〇万人を超える観光客がやってくる。

松本盆地をうるおす諸河川

 北アルプスと木曽山地から流出する犀川の支流は、松本盆地に出ると山麓に大小様々な扇状地をつくっている。その多くは豊かな灌漑用水によって水田化されている。安曇野をはじめ、松本盆地は長野県第一の穀倉地帯となっている。飯米ばかりでなく、酒造米の特産地にもなっている。扇状地末端部(扇端)からは地下水が豊富に湧出している。特に烏川・中房川・(よろ)(ずい)川などの扇端では、地下水を利用した沢ワサビ(山葵)の栽培が盛んである。最近、刺身や寿司などの日本食が国際的に評価され、その結果安曇野産のワサビが欧米諸国に輸出されている。

 奈良・平安時代、わが国における鮭(シロザケ)の特産地は、越中・越後・信濃の三か国であった。千曲川・犀川水系におけるサケの漁獲は一九四〇年(昭和十五)まであったが、その際信州の河川で最もサケが獲れたのは、明科などの犀川であった。ここは河床から地下水が大量に湧出し、サケの産卵に適していたので産卵にやってくるサケを投網で獲ることができたのである。なおサケは上高地まで遡上したが、安曇村(現松本市)の大野小学校にはサケの漁獲に用いたヤスが保存されている。

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