第二章 「打楽器奏者」の頃
運が動き出す
ちょうど今村先生に太鼓を習い出して一年近くたった頃だ。音楽会の帰り、友達から当時N響の副指揮者だった岩城宏之氏を紹介された。氏は二〇〇六年に亡くなられてしまったが今村先生の弟子で、まず打楽器奏者として世に出たのである。その後、エッセイストとしても面白いものを沢山著されたが、『男のためのヤセる本』を出すほど当時はプンプクリンに太っていて金太郎みたいだった。その日、先生のうわさ話で大いに盛り上がった。そうして音楽家の気まぐれか、まだヒマだったのか、初対面の私に、「アンタ本気でタイコやる気があるなら教えてあげようか」と言われた。