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就活すごろく、上がりはイタリア 上

【第2回】イタリアとの出会い

2015.10.13 | 吉原みどり

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イタリアとの出会い


私は一九三七年、東京は阿佐ヶ谷生まれ。女ばかり五人姉妹の末っ子である。
幼稚園の頃、家にはおもしろいものが沢山あった。砂漠の向こうに立っているラクダの絵や先がギザギザになってそっくり返っている舟の模型など。中でも特にお気に入りだったのは、父がヨーロッパへ行ったとき作ったスクラップ・ブックである。日記の余白に貼られたクリスマスカード、お城や、積み木細工のような街の絵葉書は何度見ても飽きない。しかしその中の一枚だけは見る度にドッキリさせられた。美しいお姫様が、金髪の男の首を抱えている絵なのである。首から流れる真っ赤な血が空色の長いスカートを伝い、その先から百合の花が咲き出しているのだ。どこでこんなもの凄いことが起こったのか。この男はだれ? なんで? と私は空想にふけるのだった。大人になってこの絵を改めて見るとROMAとしか書いてない。して見るとこの原画はここに在るのだろう。思えば、この絵がイタリアとの初めての出会いだった。
ちょうど同じ時期、家族で宝塚を見に行った。「イタリアの何とか…」というレビューで、きれいな衣装を着た女の人たちが、舞台の階段を降りてきて歌う。そのとき聴いたメロディとイタリアという言葉、歌の中に出てくる「…ビッション、ビッション、ランラランラ…」という歌詞だけが耳に残った。ハテ、あの「ビッション、ビッション」って何だろうと、後々ふと思い出すのだったが、先頃、イタリアにおける日本学の草分け、フォスコ・マライーニの「回想録」を読み、長年の疑問が突然氷解した。年譜に「昭和十六年宝塚歌劇団公演『イタリアの微笑』監修」とあったのだ。「ビッション」は微笑に違いない。

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