2022.03.21
【コラム】自媒体を持つことの意義 今号のお題 [CMSとコンテンツ]
さまざまな方々に、それぞれの立場から綴ってもらうこのコラム。ひとつの「お題」をもとに書き下ろされた文章からは、日々の仕事だけでなく、その人柄までもが垣間見えてきます。
ここ10年ほど、自分のWebにブログを設置しようと思いつつ、なかなか実現できていません。今は猫も杓子もnoteといった感じで、わざわざCMSを設置してブログを書くという人も少なくなってしまいましたが、自分のレンタルサーバにせこせこCGI日記をアップロードする学生時代を送った身としては、出来合いのサービスに乗っかるのは少し悔しい気分になったりもします。
ただ、誰もが手軽に文章を書き出せるというのはやはり圧倒的価値で、現に私もCMS設置のことであれこれ迷う時間がもったいなく、とりあえずnoteに数記事書いてみた、というのが現在のステータスです。
noteに書き始めて気づいたのは、媒体によって自分の書く文体も変わるということです。これは人によるとは思うのですが、たとえば自分のサイトであるWordPressであればもっと独り言のような書き口になるところを、noteだと、タグやフィードからたどって来る人もいるかもしれないことを意識しているのか、少しよそ行きで、語りかけるような文体になってしまいます。
そもそもよく考えてみると、自分が数回書いたnoteはどれも周りの人に何か訴えたいことがあって書く、いわば伝達手段としてのブログでした。一方的な物語(ストーリー)というより、聞き手が存在する語り(ナラティブ)という感じでしょうか。自分で書くのと同じように、見知らぬ誰かが書いてくれているブログを読むことも好きなのですが、これでいうと前者のストーリーのほうが好みで、自媒体を使って書かれているもののほうが面白いと感じることが多いです。書き手のことをあまり気にせずにその人の素の考えや思想を覗き見ることができるからなのかもしれません。
noteきっかけでもう一つ考えたことは、お皿の盛りつけは大事だということです。当たり前なのですが、noteで読む記事は全部同じデザインで読めるようになっています。それはそれで大変読みやすくていいのですが、考えようによっては大事なコンテキストが抜け落ちているようにも感じます。
たとえば、人によっては文体や内容がゴシック体ではなく明朝体のほうが合うかもしれません。あるいは白い背景ではなく、ダークモードのような配色のほうが書き手のトーンにあっている場合もあるかもしれません。また、その人が好む色やビジュアルなどもデザインには反映されるわけですから、ブログを個の表現と捉えたときに、そういった個々のキャラクターは良くも悪くも平均化されてしまっているのだなと感じました。
こうして考えてみると、自分を表現する場としては自媒体を持つことは一定の意味がありそうです。自分の決めたデザインで、自分の好きなように書くというのは思いの外、大事なことのような気がしてきました。
無理矢理それっぽい話につなげてみると、オウンドメディアや会社のブログでも同じことが言えます。ユーザーと対話をしたければブログサービスなどで語りかけるように書けばいいですし、ブランディングをしたいならばストーリーをより映える形で盛り付けてあげるべきなのかもしれません。コンテンツ戦略という観点では、今後はよりこうしたメディア特性を加味していかなければならないですね。
最近ではWebflowやSTUDIOのようなノーコードでWebページがデザインできるサービスにもCMS機能がつくようになったので、こうしたサービスを活用するのも良さそうです。選択肢が増えていく中で、より多彩でクリエイティブなコンテンツの見せ方を探っていきたいものです。