「時間の壁を超える」救急救命アプリが私たちに問いかけるもの|MacFan

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「時間の壁を超える」救急救命アプリが私たちに問いかけるもの

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。医療の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

アプリで人の命を救う。比喩ではなく、実際に。それが、次世代型119番通報アプリ「Coaido119」だ。一見シンプルなアイデアは、アプリの専門家の知見と、現場で培われた確かな経験により実現した。救急救命の理想と現実の差は、このアプリと我々の意思によって埋まるかもしれない。

 

理想と現実の溝を埋める

日本の心臓突然死は1日約200人。もし、心臓が停止(心停止)した場合、一刻も早く心臓マッサージとAEDで電気ショックをしなければならない。何もしなければ、1分経過するごとに7~10%ずつ救命率が落ちていく。そして、救急車が到着するまでには、全国平均で8.5分の時間がかかる。それまでの間に応急手当ができなければ、救命はほぼ絶望的といわれる。理想は、救急隊が到着するまでの間、周囲の人が応急手当てをして命をつなぐことだ。だから私たちは、たとえば自動車免許を取得するときに、心臓マッサージの方法を教わる。しかし、現実問題として、もし実際に倒れている人を見つけたら、あなたは自信を持って対応できるだろうか。

救急救命の現場に横たわる、理想と現実の溝。それを埋めるのが、Coaido株式会社の開発する「コエイド119(Coaido119)」だ。このアプリでは、緊急時に119番通報をしながら、周囲の救命知識のある人に助けを求めることができる。同社代表取締役の玄正慎氏、取締役で消防隊・救急隊として10年活動したキャリアを持つ救急救命士の小澤貴裕氏が開発した。

年間7万5000件も発生し、誰にでも起きる可能性のある突然の心停止。その救命率は著しく低く、命を救うためには、ICTにより「偶然を必然にする」必要があるという。玄正氏と小澤氏から、現在の救急救命の問題と、それを解消するためのICTの利活用、そして私たちができることについて話を聞いた。

 

 

Coaido株式会社の玄正慎氏(右)と小澤貴裕氏(左)。もともとアプリのプランナーをしていた玄正氏は、ハッカソンで救急救命アプリを発案し、起業家に。救急救命士の教育に従事していた小澤氏とは2016年に人の紹介で会い、一緒に「Coaido 119」アプリを開発することに。【URL】http://www.coaido.com/

 

 

Coaido119

【開発】Coaido Inc.
【価格】無料
【場所】App Store>メディカル

「Coaido119」アプリでは、救急車を呼ぶべきか判断に迷った場合、東京消防庁の「#7119(救急相談センター)」など地域ごとに相談できる機関にワンタッチで電話をかける機能も搭載している。

 

 

「時間の壁を越える」には

こんなシチュエーションを想像してみよう。残業中のオフィスで、隣の部屋から「バタン」という大きな物音が聞こえた。気になって覗いてみると、同僚が床に倒れていて、意識がない。一刻の猶予もない中、あなたは自分が何をするべきかを判断し、冷静に対処できるだろうか。

「救急車を呼ぶ」だけでは不十分だ。救急車が到着するまでの間、呼吸の有無を判断し、なければただちに心臓マッサージを開始し、AEDを使用しなければならない。しかし、多くの人にとって、心臓マッサージはうろ覚えで、その近くのAEDがどこにあるかもわからないというのが、正直なところだろう。現状では、突然の心停止で人が倒れた現場に目撃者がいても、9割を助けられていない。

このままでは目の前で失われつつある命は救えない。現状を打破するためのアイデアはシンプルだ。「心臓マッサージができる人を呼ぶ」「AEDを持ってきてもらう」??一見、誰にでも思いつきそうだが、実現するとなると難しいことがわかるだろう。「どうやって?」と。

玄正氏は、アプリで現場にいる通報者と周囲にいる救命知識のある人やAED設置施設を「マッチング」する方法を、こう説明する。まず、コエイド119には医療有資格者や救命講習受講者、AED設置者が事前登録をしている。通報があると、付近にいる事前登録者のiPhoneにSOS通知が届く。また、AED設置施設も事前に登録し、緊急時に付近にある施設に一斉に電話がかかる「AEDエリアコール」とも連動している。

アプリは無料で、登録すれば誰でも緊急時にSOS発信できる。起ち上げると、緊急度を選択する画面となり、「倒れて動かない」を選択すると、SOS発信画面になる。アプリは位置情報を取得し、GPSの精度が良くない場所で現在地がズレている場合は、手動で修正できる。ビルであれば階数や部屋番号などの詳細を添えて、周囲にSOSを発信するシステムだ。

発信者は、そのまま画面の案内に従いワンタッチで119番に発信できる。この間、アプリはiPhoneのカメラで現場の映像を送り続け、SOS通知を受信した人たちは、現場の状況や場所を見て現場に向かう。119番通報が終わると、心臓マッサージのリズム音が流れる。SOS事案に参加している人はお互いの現在地を地図上で共有し、チャットでのコミュニケーションも可能だ。

救急車が到着したらSOSを終了する。個人情報保護の観点から、終了した事案のデータは閲覧できなくなる。また、終了後にはSOS事案に参加した人にアンケートが行われる。通常、救急車到着までの経過の確認は救急隊員が実施するものだが、現場では十分な聞き取りができないこともあり「ブラックボックスになっている」(小澤氏)ためだという。  「心停止があったら、ただちに心臓マッサージを始めて、止めないことが必要です。そうしながら119番通報をして、同時にAEDを手配する。これを一般の人にやれというのは、酷な話でしょう。しかし、1つのアプリでワンストップで実現できたら。一方向にムダなく、必要な人や物がすべて集まってくる。救急車では越えられない時間の壁を越えられるのです」(小澤氏)

また、取り組みを始めたときには全国を網羅したAEDマップがなかった。日本救急医療財団が約30万件のリストを持っているが、地図のように一目でわかる形ではまとめられておらず、緊急時の実用性が低かった。玄正氏はアプリ開発のかたわら、財団にリストのマップ化を提案し、開発・初年度運用を実施、財団から自治体へのデータ共有も実現した。

「全国の消防本部における救命講習受講者数は毎年約150万人で、命を救いたいと思っている人は多い。しかし、緊急時に近くにいる救命知識のある人に連絡する方法がないため、その力を十分に活かせていない。AEDは累計70万台も販売され設置されているのに、緊急時に使えるケースは7%しかない。この“つながっていない救命の連鎖”を、アプリでつなげられたらと考えています」(小澤氏)

 

問われる私たちの意志

コエイド119は、2017年8月から2018年1月まで、東京都豊島区で実証実験を実施した。豊島区で実施した理由は、人口密度が日本一の自治体であることと、乗降客数が世界で2番目に多い池袋駅があること。このアプリでは、エリア内のアプリユーザができるだけ多いことが必要になるためだ。

実証実験期間中、利用者登録数は全体で1737人、SOS受信者登録数は233人。「豊島区をカバーするにはより多くの方の登録が必要です」(玄正氏)。全国での使用を待ち望む声が多く、2月には対象エリアを全国に拡大した。しかし、気になるのはこのアプリがボランティア、利用者の善意を前提としていることだ。今後も利用者、特にSOS受信登録者の数を増やすことはできるのか。

小澤氏は「現場の映像を見せることが医療の専門家にとっては一番のインセンティブ(動機づけ)」だと断言する。今後も金銭などによるインセンティブは設けない方針だ。アプリで現場の状況をすぐに伝え、「自分が助けに行くべきだ」と思ってもらうこと。今まではこれができていなかった、と小澤氏は指摘する。

同社は現在、海外メーカーと協力し、ドローンを使ってAEDを届ける実験も行なっている。目標とするのは「自動救命」。アップルウォッチで心拍数の異常や、スマートスピーカで倒れた音を検出して、付近の人やAEDを載せたドローン、救急車を呼ぶ。このような理想を描くのは、「これまでの救急救命は偶然の要素が強すぎる」との思いからだ。

  「年間7万5000件の心停止のうち、誰も見ていなかったケースが4万件以上あります。発見が遅れれば、まず助かりません。私が経験した心停止でも、救命できたのは偶然、医療関係者や家族がすぐに見つけて心臓マッサージをしていた場合だけです。ICTの力によって、これを必然に変えたいのです」(小澤氏)

同社はこのようなシステムを、たとえば救命率の著しく低い高層マンションに組み込む、あるいは地域開発を事業にする大手企業と連係し「安心な街」としてのブランディングを行うなどして事業化していく計画だ。しかし、この事業の持続可能性に大きな影響を与える要素は、資金だけではない。それはもちろん、利用者の拡大だ。119番通報は始まってから100年経ったが、救急車の到着時間がこの十数年遅延傾向にある中で、消防だけに頼る今の仕組みは限界を迎えつつある。iPhoneのような新しいテクノロジーが可能にする「市民参加」は、救急救命の理想と現実の差を埋める存在になりうる。あとは、この概念をいかに広げられるかにかかっている。

私たちが本当に「救えるはずの命を救える社会」を望むのであれば、コエイド119のような取り組みに、率先して参加するべきだ。テクノロジーが進化を続ける中、問われているのは実は、私たちの意志であるといえる。

 

 

池袋の実証実験におけるSOS受信者の分布図。乗降者数の多い池袋駅周辺は密度が高い。密度の低い北部や西部の一部は住宅街で、このような地域ではポスティングやワークショップを実施。地域ぐるみでの啓蒙活動をしている。

 

 

三井不動産とシスコシステムズと共同で、日本橋エリアの「安心・安全」のブランディングにつながる実証実験を3月に実施予定。監視カメラで人が倒れたことを自動検知し、ビルの防災センターや警備員とアプリのSOS受信者が連係してより良い緊急対応を目指す。

 

 

 

ペットボトルを使用した心肺蘇生(CPR)訓練。モーションキャプチャによる測定で、ペットボトルが訓練用人形の代用になることが判明した(サントリー天然水のペットボトルにて測定)。体験型ワークショップの際に使用している。

 

 

Coaido119のココがすごい!

□倒れた人を見つけたとき、付近の救命知識のある人に一斉連絡できる
□周囲のAED設置施設にも自動一斉コールし、緊急事態の発生を確実に伝える
□人口密度が日本一の東京都豊島区で、実証実験を終了し、全国で使用可能にした