Apple Watchが医療現場で打破すべき難題|MacFan

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Apple Watchが医療現場で打破すべき難題

文●朽木誠一郎

Apple的目線で読み解く。医療の現場におけるアップル製品の導入事例をレポート。

近年ヘルスケア分野に注力しているAppleだが、本格的な医療現場参入の可能性が出てきた。その足がかりとなるのは、未だ思ったように普及の進まないApple Watchだが、最新動向と実際に導入を果たした新百合ヶ丘総合病院の声により、「難題」が見えてきた。

 

 

アップルウォッチが医療機器化?

アップルウォッチは「普及」するだろうか。2017年9月に発売されたアップルウォッチ・シリーズ3の好調が伝えられるが、スマートウォッチ自体がまだ一種の物珍しさを持って迎えられる現状、アップルウォッチが必需品になる日は、今も遠い印象だ。当初、カロリー測定などフィットネスの機能を推したことからも、アップルウォッチはあくまで嗜好品の位置づけだったことが伺える。しかし、アップルはこのプロダクトについて、新たな戦略を打ち出そうとしている。それが「ヘルスケア」だ。

健康は万人の関心事だ。最新ガジェットではなく、医療機器ということであれば、老若男女を問わず使われることになる。今回はアップルのヘルスケア事業について、最近の動向と国内医療機関での導入事例から、アップルウォッチの未来を占ってみたい。

米国の大手メディア「ブルームバーグ(Bloomberg)」は、2017年12月、アップルが進化させた心臓モニタ機能を開発中だと報道した。この分野に関心のある人であれば、疑問に思ったかもしれない。もともと、アップルウォッチには心拍センサが搭載されているからだ。

従来のアップルウォッチの心拍センサでは、緑色のLEDと赤外線のライト、感光性フォトダイオードを組み合わせた「光電式容積脈波記録法」により、流れる血液の量から心拍数を計測する。

では、新しい「心臓モニタ機能」とは何が違うのか。ブルームバーグによれば、テスト中のモデルでは、胸部に微弱電流を流して心臓の電気信号を読み取り、心臓発作や心不全などのリスクを高める不整脈などの異常を探知するそうだ。

もちろんこれは非公式の計画であり、この機能が実際に搭載されるかどうかはわからない。しかし、同社がアップルウォッチでヘルスケア領域を開拓しようとしていることには、ほかに証拠もある。

たとえば、アップルが米国で2017年11月に発表したアップルウォッチ向け医療アプリ『ハート・スタディ(Apple Heart Study)」(日本国内未配信)。このアプリでは「光電式容積脈波記録法」を応用して、心臓のリズムを感知。異常があると、アップルウォッチとiPhoneの両方でプッシュ通知する。さらに、異常が感知された場合、iPhoneでの無料のビデオ相談を受診できる。この相談は米遠隔医療サービス「アメリカン・ウェル(American Well)」が年中無休で提供するという。アップルはこのアプリを米スタンフォード大学医学部と協力して開発している。

アップルウォッチを医療機器として利用することは、従来の医療の形を変え得るアイデアであることはいうまでもないが、条件もある。それは「アップルウォッチが普及すること」。本連載でも繰り返し述べているが、「できる」と「実際に役に立つ」の間には、大きな隔たりがある。

ハート・スタディは多くの人の命を救うことができるだろう。ただし、それは心臓機能に異常が出る人に使われれば、だ(そして多くの場合、そのような人は最新ガジェットに疎い中高年の世代だ)。

発表から2カ月しか経過していない現状では、このアプリの成否は判断できない。しかし、アップルウォッチの累計販売台数は世界で千数百万台から数千万台と予想されており、これはプレイステーション4の世界シェアより少ない数字だ。この数字を見る限り、現状ではアップルウォッチは嗜好品の域を脱しておらず、このアプリを必要とする人には行き届いていないと思われる。

 

 

Bloombergは、2017年11月にAppleが「進化した心臓モニタ機能」を開発していると報道。最先端のセンサにより心臓の動きをモニタリングすることで、将来の病気予測につなげる狙いだという。【URL】https://www.bloomberg.com/news/articles/2017-12-21/apple-is-said-to-develop-ekg-heart-monitor-for-future-watch

 

 

便利なだけでは導入できない

一方、日本ではヘルスケア領域でのアップルウォッチアプリ開発の話はあまり聞かれない。そんな中、神奈川県川崎市にある新百合ヶ丘総合病院は、アップルウォッチ・シリーズ2のスタッフへの導入を謳う。同院院長の笹沼仁一医師によれば、アップルウォッチは「本来、一刻を争う医療現場にこそ最適」だという。救急や集中治療室、夜勤時などは、文字どおり「手が離せない」ほど忙しくなることがある。少なくとも片手が塞がるPHSやスマートフォンによる通話は、作業効率を下げている、と笹沼医師は指摘する。

「たとえば、看護師が医師の急な判断を仰がなければいけないような場合、通話が終わってから処置を始めるのでは、間に合わないこともある。その点、アップルウォッチなら、通話中も両手が使えますから、リアルタイムで対応できます」

また、スタッフが常時持ち歩くPHSやスマートフォンは「そもそも不衛生なのでは、という懸念もある」と笹沼医師。ウェアラブル、つまり身体の一部になるアップルウォッチのほうが感染制御はしやすく、「院内感染対策にもつながるのではないか」という。

現在、同院では20台のアップルウォッチが医師や看護師、各部門の責任者に配布され「反応は好評」。ただし、「画面が小さくて使いにくい」などの声もあったそうだ。

医療現場にメリットのあるアップルウォッチだが、国内の医療現場に本格的に導入された事例はほとんどない。新百合ヶ丘総合病院でも導入は20台に留まっている。笹沼医師が挙げるのは、やはりコストの問題だ。

「今、我々の病院ではスタッフ用に約200台のiPhone、ベッドサイドにiPadを導入していますが、これらはリース契約です。アップルウォッチが普及し、安価に契約を結べるようになれば、より多くのアップルウォッチを導入できるかもしれません」

病院経営にとって、購入時の消費税は「大きなネック」だという。医療機器の中には非常に高価なものもあり、必要な数も多い。たとえば、2億円分の医療機器を購入すれば、1600万円の消費税がかかる。同院は2020年に約200床の増床をするなど、経営は順調。iPhoneやアップルウォッチを導入できるのもそのためだが、やはり消費税のかかる購入ではないリース契約などで、コストカットをしなければならない。

笹沼医師の構想では、いずれはナースコールをアップルウォッチに置き換えたいという。しかし、アップルウォッチ・シリーズ2以前では通話にiPhoneが必須だったこともあり、既存システムとの連動ができないため、保留になっていた。「新しいものが好き」という笹沼医師は、アップルウォッチ・シリーズ3でセルラー対応し、iPhoneを必要としなくなったアップルウォッチに期待をにじませる。

「ただし、経営的にGOサインを出すには、それだけの根拠がなければいけません。今は、アップルウォッチが医療現場にもたらすメリットについて、その根拠を積み重ねている段階です」

 

 

新百合ヶ丘総合病院の外観。2012年に開設し、現在約400床。救急、産科、小児科を含めた地域医療とがん、心疾患、脳神経疾患を中心とした高度専門医療を両立する。【URL】http://www.shinyuri-hospital.com/

 

 

ハード提供者にしかできないこと

iPhoneが発売された当初、「日本では普及しない」とする予測もあった。しかし、今では世界でも類を見ない「iPhone一強」の状態が続いている。この状態により、日本市場においてはトリクルダウン、つまりiPhoneの人気を利用して、周辺機器を売り込む方針になっていた。しかし、これは健全ではない。

iPhoneの周辺機器でしかなかったアップルウォッチの医療機器化、そしてセルラー対応は、この方針からの脱却を意味している。今後、アップルウォッチは「医療機器」であり「コンパクトなスマホ」でもある、という唯一無二のプロダクトになるだろう。

そんなアップルウォッチは、たしかに医療現場にメリットをもたらしそうだ。しかし、医療分野においては、普及しなければ実際には役に立たず、そもそも導入もできないというジレンマがある。

このジレンマは、本連載で紹介してきた「医療とアップル」を巡るすべての取り組みが直面しているものでもある。プラットフォーマーたるアップルがどのようにしてこの難題を打破するのか。その先にあるのは、医療そのものが大きく変わる可能性だ。

ソフト開発者は、ハード提供者であるアップルの定めたルールの元でしか動けない。「アップルウォッチを医療機器にする」などという大幅なルール変更は、アップルにしかできないのだ。逆にいえば、アップルがこのジレンマを解消できなければ、誰にもできないことになる。

つまるところ、アップルウォッチの未来を占うことは、医療の未来を占うことにもつながる。道は険しいが、どのようにそれを切り拓くのかを楽しみにできるのは、これまで数々の夢物語を現実にしてきたアップルならばこそ、なのだろう。

 

 

新百合ヶ丘総合病院院長の笹沼仁一医師。ナースコールと連動したApple Watchの活用など、将来の構想を語ってくれた。

 

 

新百合ヶ丘総合病院がApple Watchの運用を開始したのは2017年11月20日。取材時(同年12月)では「まだ使用方法を学習しているところ」(笹沼医師)だった。同院は今後、迅速で効率的なICT化を目指すという。

 

 

Appleが米国内で発表した「Apple Heart Study」アプリ。Apple Watchユーザはこれまで、米食品医薬品局(FDA)の承認を受けたデバイスを追加すれば、心電図を読み取り、場合によってはその異状を感知できた。このアプリでは、Apple Watch単体で感知が可能になる。日本国内では未配信。【URL】https://www.apple.com/watch/apple-heart-study/