シリア難民向けモバイルラーニングプロジェクト始動|MacFan

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シリア難民向けモバイルラーニングプロジェクト始動

文●山脇智志

ヨーロッパを中心に起きているシリアからの難民はかつてない規模となっている。自らも難民受け入れを決めたノルウェー政府による難民の子弟向けのスマートフォンを使った国際的教育プロジェクトを追う。

MOOCSの未来

2015年10月29日、筆者は米国の首都ワシントンDCにいた。10月28~30日の日程で年に一度開催される「モバイルエデュケーション・アライアンス・シンポジウム2015」に出席するためだ。このシンポジウムは、米国内や米国の教育機関が海外で行うスマートフォンやタブレットなどを用いた教育に関する実践例や研究に関する報告の場であり、今年はおよそ300名ほどの参加者を集めていた。会場は「United States Institute of Peace」。米国における平和研究の殿堂ともいえる同組織の隣にはワシントンDCの象徴たるリンカーンメモリアルがあり、かの有名な巨大なリンカーン像がその先にあるキャピトルヒル(米国国会議事堂)を24時間見つめている。この会場で新たな時代の教育について語り合うこと、そしてそこには教育関係者だけでなく、NGOや政府関係者も参加していること、そうした事実からこの国における教育の意味や意義を自然に感じとれる。

たとえば参加者の中には「教育とテクノロジー」の途上国に与える経済的効果と影響を、「エドテック(Edtech)」という言葉が生まれるかなり前から世界に向けてレポートしてきた、世界銀行アナリストのマイケル・タルカーノ氏の姿もあった。彼のセッションでは、さすが金融機関に属するアナリストらしい、冷静かつある意味辛辣な今の教育とテクノロジーの関係についての意見があった。

たとえば、MOOCS(Massive Open Online Courses)については、IT業界などでよく使われるテクノロジーの進化と市場普及度合いを示すハイプサイクルを用いて「すでにピークを過ぎた」と説明。それ自体の意義は認めながらも、これ以上のユーザを増やす見込みがないこと、なによりも継続性に最大の課題があることを指摘していた。

「MOOCSに1つの未来があるなら、それは中国における利用だ。中国では教育と技術の融合で、いわばイノベーションが起きているからだ」と言及。また、モバイルが教育に果たした役割を「Democratization(民主化)」だと言い切る。「米国でも、タンザニアでも、モバイルで起きている教育においては大差がない」とネットワークと端末の存在意義を大きく評価した。

 

 

モバイルエデュケーション・アライアンス・シンポジウム2015の会場となったUnited States Institute of Peace。リンカーンの像で有名なリンカーン・メモリアルの隣にある。

 

 

世界規模の教育プロジェクト

筆者がワシントンを訪れたのは本シンポジウムへの参加自体が目的ではなく、中日に開催された緊急特別イベント「EduApp4Syria Competition Dialogue」(以下、EduApp4Syria)のためだった。EduApp4Syriaとは、現在ヨーロッパで大きな問題となっているシリア難民の4~10歳の子どもに向けて、スマートフォンでアラビア語の勉強を提供するプロジェクトである。

これは米国政府でも米国の組織でも、ましてや国連機関でもなく、北欧の一国、ノルウェー国政府が主催している。実際の担当は途上国向けに教育推進事業を行っているNORAD(Norwegian Agency for Development Cooperation)が行っているが、そのほかにもノルウェー科学工業大学、米国およびオーストラリア政府が支援する途上国の子ども向けに識字率向上を目指す教育団体All Children Reading: A Grand Challenge for Dvelopment、アラブ地域でも携帯事業を行うフランスの携帯電話キャリアであるOrange、そして災害や紛争などで教育の機会が奪われた生徒や学生などに緊急措置としての教育提供を行う国際的支援団体INEE(Inter-Agency Network for Emergency)を含めた4つの組織および団体が携わっている。これはつまり、「一カ国に集約されない国際間連携」であることを意味し、同時に「官と民、非政府組織、そしてテクノロジーの協力体制」というかつてないほどの多様さとスピードを併せ持つプロジェクトといえる。

今回の説明会では国際入札で開催されるスマートフォンアプリに関しての要件や仕様に関すること、そしてこの企画の背景や意図に関して説明がなされた。その目的と理由を以下に紹介する。

「およそ300万人のシリア難民の子どもたちは学校に行くことが戦争のために不可能だ。また、その多くがトラウマ(心的外傷)と過度なストレスにさらされており、学習に大きな影響が出ている。それゆえ、ノルウェー政府はシリア難民の子どもたちにアラビア語の読み方を学ぶことや精神的な幸福感を助長させてあげられるようなスマートフォンアプリの開発に積極的にリーダシップをとる」

説明会で特に強調されたのが「ゲームを使ったもの(Game based) 」にすることだった。つまり、子どもたちに継続して学び続けてもらうための仕掛けとしてのゲーム要素であり、あまりにも悲惨な状況を目にした、そして過酷な旅の末難民となった子どもたちに、ゲームで一時といえど「幸せ」な瞬間を提供したいという想いだ。また、その保護者である親ともアラビア語の習得を通してコミュニケーションできるようなものであるべきというリクエストもあった。

 

 

モバイルエデュケーション・アライアンス・シンポジウムの会場風景。EduApp4Syria Competition Dialogueは今回の特別イベントとして開催された。

 

 

なぜモバイルか?

国民の半数が難民として流出してしまったシリアだが、本来は教育国家であった。海外には評判の悪い独裁であるアサド政権だが、ほぼ100%の就学率を誇り、首都にあるダマスカス大学はかつては中東一の優秀な大学だといわれた。よってシリアの親は教育熱心であり、難民となった今も子どもの教育が中断され、その復活もままならないことが大きな悩みとなっている。

特に日本でいう小学生の子どもたちは、国語としてのアラビア語による教育や自己学習が完全に止まった状況である。自国語さえ、きちんと使えない状況で大人になってしまえば仕事に就くこともできないばかりか、居住国だけでなく、仮にシリアに戻ったとしても教育が再開されてからの世代との格差や、社会的に必要な人材供給ができない状況となる。

そもそも、今回のプロジェクトでなぜモバイルか?を解明しておかねばならない。実はシリア難民は、ほぼ全員が携帯電話端末を保持しているうえに、その端末もスマートフォンが約80%といわれる。つまり、高度に情報ネットワークを持ち、かつ活用した人類かつてないほどテクノロジーを持った難民なのだ。

300万人の子どもたちは既存の教育手段では救えない。場所としての学校を用意するのが難しく、アラビア語で教育をできる教師も少ないからだ。そのために必要なアラビア語の教科書を用意するのも難しい。また、それらをサポートをした瞬間、その国は難民を「受け入れた」ことだとみなされてしまう。今回主催しているノルウェー政府といえど、足元は盤石とはいえない。北欧諸国は比較的社会政策に手厚く、このような国際的な事態でもその中立的立場から大きな活躍をしてきた。しかし、それを支える高額な税負担などを担う国民には、税金を難民のために使うべきではない、つまり受け入れに難色を示す層が台頭してきており、それらを信条に持つ野党が与党に大きく迫るという状況だ。

現地である日本の大手メディアの記者に話を聞く機会があったが、彼はこの速度で、この視点で国が動くということのすごさに感嘆していた。日本ではありえないだろうと。まず国がスマートフォンに特化にする、子どもに絞る、アラビア語学習という難民にとって、シリアの未来のために本当に必要である本質の部分をやろうとしており、そして自国だけでやるのではなく、海外のプレーヤーを集結し、そして国際入札にかけること、そのすべてがすごいと語る。

日本をはじめとしたアジア各国は対岸の火事のように思っている。首相は米国訪問の際にお金で解決するといって、嘲笑の的になってしまった。今回のプロジェクトは、1つの国、あるいはその国を構成するいくつかの民族の未来を担う唯一の手段がスマートフォンに託されるという稀なケースである。今後の(日本人も含む)我々の未来においてモバイルラーニングに対して新たな意義を付け加えるであろう重要なプロジェクトである。日本人として、そしてテクノロジーを扱うことのできる者、教育に携わる者として、このプロジェクトの行方を注視していきたい。

 

 

今回のプロジェクトの中心人物であるNORADのLiv Marte Nordhaug女史。

 

 

難民の父親のインタビューシーンがビデオで流れた。「スマートフォンがシリアの人々にとっては当たり前のツールだ。外の世界がそうであるように」「私が恐れているのは子どもたちが15際になったときに、アラビア語の読み書きができなくなってしまうのではないかということ」と語る。

 

 

ビデオ参加したもう1人のキープレイヤー、IEEEのディーン・ブルックス氏はシリアの教育事情を語った。シリア難民の数は400~500万人とされているが、これは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に登録した数。実際にシリア難民は子どもたちだけでも300万人だと試算されている。また、シリア国内では住む家を失った人は全人口2200万人中、1100万人といわれ、実際にはそのほとんどが国外に脱出したと見られている。シリア全体での子どもたちが学校に通っている就学率は50%、もっとも戦闘の激しいアレッポ地域では6%しかないらしい。学校が破壊されただけでなく、そもそも教師自体がいなくなってしまっているわけだから、教育自体が成立し得ない。

 

 

【WEB】
「モバイルエデュケーション・アライアンス・シンポジウム」(mEducation Alliance Symposium)については、WEBサイト(http://www.med ucationalliance.org)を参照してほしい。

 

【ツール】
説明会では参加者からの意見集約に同国発のゲームベースドラーニングツールでKahoot!(https://kahoot.it)を使った。世界180万人以上のユーザがいるこのツールを、開発者であるAlf Inge Wang氏自ら操作して行った。