障がいをハンディキャップにさせないiPadの活用|MacFan

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障がいをハンディキャップにさせないiPadの活用

文●山脇智志

ICTを利用して障がい児の学習・生活支援を行うプロジェクト「魔法のプロジェクト」。その2014年度プロジェクト「魔法のワンド」が完了し、協力校の報告事例が公開された。テクノロジーによる支援は大がかりなものでなくて構わない。その成果報告から大事なことが読み解ける。

デジタルは個性を発揮させる

iPadなどのデジタルデバイスは、人が幸せになるためにある。そのことをもっともわかりやすい形で示してくれるのが「魔法のワンドプロジェクト」だ。東京大学先端科学技術研究センター、ソフトバンクモバイル、エデュアスの3機関が行っているもので、特別支援学級/学校、通常学級などの障がい児と教師にiPadなどの情報端末を貸し出し、実際の教育現場で活用してもらい、その成果を公表し共有するというプロジェクトだ。このプロジェクトは2009年から「魔法のポケット」「魔法のふでばこ」「魔法のじゅうたん」「魔法のランプ」と、その年のテーマに沿った名前が付けられ、2014年度はワンド(杖)となった。

成果はさまざまなところに見られるが、注目すべきは「通常学級で学ぶ障がい児支援」あるいは「高校、大学などの通常学級に進学を考えている障がい児支援」の分野で特に大きな成果が上がっているように思える。

情報端末は、過去たくさんの人を幸せにしてきた。映画「ジュラシックパーク」のアドバイザーであり、登場人物のグラント博士のモデルともなった古生物学者ジャック・ホーナー氏(恐竜も子育てをする社会性があることを明確にしたことで有名)は、重度の識字障がいを抱えている。知的能力には問題がないのに、文字が文字ではなく単なる模様としてしか認識できず、読み書きの能力は小学校3年生程度でしかない。それがなぜ学者になれたのか。論文をコンピュータに入力し、音声読み上げ機能を使って、耳学問で専門知識をつけてきたのだ。学生のレポートもデータで提出させ、聞くことで採点をしているという。もし、ホーナー氏が19世紀に生まれたらどうなっていただろうか。

本来、障がい児も特別支援学級/学校ではなく、通常学級で健常者と一緒に学ぶというのが理想だ。もちろん現実には、今すぐそうすることは難しいし、無理に行えば、かえって余計な問題を生じてしまうかもしれない。しかし、「特別支援」という言葉がなくなる世界が理想であり、道は遠くても、そこに向かって進んでいかなければならない。そうなったとき、「障がい」という言葉すら消えてなくなり、それは「個性」になる。現場で努力を積み重ねている方からすれば「現場も知らず、そんなきれいごとを簡単に言わないでほしい」と発言したくなるかもしれないが、それでも、私たちの社会はこの”理想”を掲げておかなければならない。そして、テクノロジーはその理想を実現するために、使われなければならない。

 

 

魔法のプロジェクト(【URL】http://maho-prj.org)は2009年から継続して行われている。その成果報告は公開されており、WEBサイトからPDF書類をダウンロードすることができる。

 

iPadで伝えたいことが伝わる

テクノロジーによる支援は大がかりなものでなくてかまわない。「魔法のワンドプロジェクト」の東京都狛江市立緑野小学校の事例では、ある通級利用をしている小学校6年生の男子が紹介されている。通級とは、通常学級で学びながら、特別支援教員のサポートも受けられる制度だ。彼は、授業の板書を写すのが苦手で、同級生と比べて倍の時間がかかる。しかも、遅いことを自覚していて、焦って書くため字が汚くなり、自分で書いた字が自分で読めないという状況になっていた。そのことで、「自分はだめだ」「授業についていけない」というネガティブな気持ちを持ち続けていた。

この問題を解決するため、iPadを教室に持ち込み、板書をカメラで撮影し、手元で板書を見ながらノートを取るようにした。たったこれだけの工夫で、焦ることがなくなり、字がきれいになり、本人も自信を持てるようになった。

この教諭が素晴らしいのは、教室の中で彼だけがiPadを利用することを「ずるい!」とならないように事前にきちんと説明するだけでなく、同級生には本人から説明できるように指導をしたことだ。彼が自分の口から説明をし、同級生がそれを受け入れるたびに、彼は自信をつけていったことだろう。

島根県松江市古志原小学校では、さらに踏みこんだ使い方をしている。視覚に問題を抱える生徒がiPadを拡大読書機として使っている。これをその子だけの支援機器としてではなく、クラス全員への活用を考えた。拡大読書機を使って、教科書の図版などを拡大した映像をテレビに写し、それを授業の材料として使う。さらに、社会科校外学習では、その子がビデオ撮影、写真撮影係に任命され、撮影した映像を使った振り返り学習を行う。

また、沖縄県名護市立大北小学校では、難聴児童の筆談にiPadが利用されている。これは一見、紙を使っての筆談と何も変わらないように思えるが、やってみるとまったく違った効果が得られたそうだ。紙で筆談をしたときの問題点は、筆談が始まると、周囲が彼の言いたいことを理解しようとして、たくさんの同級生が集まってくる。これは善意からの行動だが、本人にとってはかえってプレッシャーとなる。また、伝えたい内容をいったん文章にしなければならないので、細かいニュアンスが伝えづらいのだ。

この学級では、普段の授業でiPadを活用していることもあって、iPadの筆談だと同級生が集まってこない。プレッシャーを感じることなく、伝えたい相手とだけコミュニケーションがとれる。さらに写真の活用だ。実験中など、目の前にある伝えたい内容を写真に撮り、その写真に文字を書き込み、同級生に指をさして見せるだけで、伝えたいことが一瞬で伝わる。

誰もが参考にしたい事例

もちろん、ここで紹介した成功例は視覚や聴覚の障がいに関するもので、iPadというデバイスが助けになるということは当たり前でもある。事例紹介の中では、自閉症や知的能力の問題など、まず学習に気持ちを向けるところから考えなければならない難しい例もある。また、「導入してみたものの、ただのユーチューブ再生機になってしまって失敗した」という事例も赤裸々に語られている。

このような事例はすべて「魔法のワンド成果報告会公開資料」で入手可能だ。障がい教育と無関係な人であっても、一読するだけで気づきを得られるだろう。なぜなら、ここで紹介したiPadの使われ方は皆が日常やっていることだからだ。ビジネスセミナーでペースが速く、スライドをメモする隙がないときはiPhoneで写真を撮ってしまうはず。文字で伝わりにくいときは、写真を送って伝えることがあるだろう。報告会の資料を読んでいると、立場が違うだけで、デジタルデバイスの活用方法に大きな違いはないのだなと気づかされる。

 

東京都狛江市立緑野小学校

【URL】http://www.komae.ed.jp/ele/midorino/

左が直接板書をノートに写したもの。自分で自分の書いた字が読めないこともあった。右がいったんiPadで板書を撮影して、手元に置いて、自分のペースでノートに写したもの。時間はかかるが、自分のペースでノートを書けるので、字がきれいになったという事例だ。

 

香川県立善通寺養護学校

【URL】http://www.kagawa-edu.jp/zenyo01/

車いすに座って移動をすると、意外に視野が狭い。また、後ろを振り返ることもしづらいので後方が死角になる。車いすを利用しない人にはなかなか気づかないことだ。そこで、香川県立善通寺養護学校では、iPhoneとiPadを利用してデジタル潜望鏡を作った。iPhoneのカメラを潜望鏡にして、手元のiPadに映すという楽しい工夫だ。

 

沖縄県名護市立大北小学校

【URL】http://sw.city.nago.okinawa.jp/ookita-s/

難聴の生徒が、理科の実験で同級生に自分の伝えたいことを伝えるために使った図。目の前の状況をiPadで撮影し、そこに指で文字を書き込み、それを同級生に見せる。筆談で伝えるには「容器の中に入っているメダカはメスです」と書かなければならない。一方、iPadで写真に撮って書き込む方式だと「容器の中に…」の状況説明部分を省くことができ、素早いコミュニケーションが可能になった。

 

島根県松江市立古志原小学校

【URL】http://www.city.matsue.ed.jp/koshibara-e/

視覚に障がいのある生徒がiPadを読書拡大機として利用しているが、校外学習のときはiPadによる撮影係に任命される。その生徒が撮影した写真、ビデオを使って、後日振り返り学習の教材とする。その生徒を特別扱いして支援するのではなく、通常学級の中での役割を与えて、その成果物をクラス全員で共有する。生徒自身もやりがいが生まれるし、他の生徒たちも彼女の障がいに対する理解が深まっていく。素晴らしいマネージメントの実例だ。

 

【意欲】
学習意欲を引き出すのが難しいという事例では、iPadは大きな効果を上げている。生徒が興味を持つうえに、教科書、教材、ノートなどが1つにまとめられるので、忘れ物が少なくなるからだ。

 

【通級制度】
通級制度とは、特別支援学級/学校ではなく、通常学級の中で学習をすること。週に何時間かは特別支援学級に通い、必要な支援、補習を受ける。この通級制度の中で、障がいを持つ生徒のハンデを打ち消す道具としてタブレットが活用されている。

 

文●山脇智志

ニューヨークでの留学、就職、起業を経てスマートフォンを用いたモバイルラーニングサービスを提供するキャスタリア株式会社を設立。 現在、代表取締役社長。近著に『ソーシャルラーニング入門』(日経BP社)。【URL】http://www.castalia.co.jp/