②(全員)
山根は手探りでマッチに火をつけ、アルコールランプ(を模したもの)に種火を灯す(真似をする)。かすかな明かりが灯る。いつここに現れたのか。色白い金髪の女(アリス)が立っている。しかし、彼らに彼女は見えていない。
よく見ればもっと多くの人間が部屋に溢れている。
上手の、先ほど動かされたテーブルの後ろに帽子屋。上手手前にカール。カールは椅子に座っている。下手袖の見えにくい部分に三日月と昇。が暗転中に板につく。明転から少し間をおいて、カールが喋りだす。
カール 母さん、僕は人を殺しているよ。あの夏空の下の、蒸した港町の波止場、その寂れた船着場の桟橋で、母さんは僕を見送ってくれたね。
風子 山根、紙とペンを。
山根 よく見えねえや。
カール 母さんはいつも厳しく、震えながらタラップを昇る僕の背中を鼓舞するように、臆病な僕の勇気を叱ってくれた。「敵国の兵士を殺すのよ。帰ってくる時には、敵を殺した栄光に胸を張って、我が国の土を踏みしめなさい。」タラップが外されて、汽笛とともに僕を乗せた船が出港したとき、厳しい笑顔で僕を見送る母さんの姿が遠のき群青色の波に飲まれ、やがて地平線は母さんを覆い隠した。
風子 古田。(ペンを渡す)
カール 僕は医療班だから、人を救うのであって殺すことは無いんだ。ってことを言い忘れたな、と、そう思った。でも母さん、僕は母さんの望むがままに、今、人を殺しているんだよ。
風子 何も考えず、文章など気にせず、ひたすら紙に文字を書いてくれ。
古田 あまり字には自信ない。
風子 別に誰かが読むわけじゃない。ただ無心にひたすらに。すぐに始めて欲しい。
古田は頷くとすぐに始める。
風子 その間僕はじっと君を見ているが、気にしないで欲しい。その間できれば一言も口を開かず、立ち上がらない。トイレもダメだし、我慢もしなくていい。その場で漏らしてくれ。
古田 なに?
風子 書いて。
古田 ……。
風子 山根、ストップウォッチが見えるか?
山根 もう測ってる。
カール ヨーゼフ・メンゲレ先生は当初双子の研究に没頭されていた。双子だけに分かる意思の疎通や感覚の共通。それを知ることで、通常一人で生まれてくる人間が、元来、本当は二人であったことを証明しようとしていたんだ。だが先生の研究はまるでままごとで、双子を縫い合わせて一人にしようとか、二つの脳を結合して生きていられるかだとか、まるでフランケンシュタインでもつくるのかというレベルの児戯だった。先生の研究は実験とは言えず、ただ捕虜を弄んで殺害するという偏執な趣味のようだった。でも上層部ではそれがとても喜ばれているみたいで、結局は総統閣下がお薦めするように、人種としての優位に浸れれば満足なのだろうと、そういうことなんだろう。母さんも、そう思うかな? みんな我が国のため、善意でそれをおこなっているんだ。とても立派だと思う。でも、僕は違うんだ母さん。僕の場合は悪意に満ちている。だって我が国のためだなんてこれっぽっちも思っていないから。そうそう。僕の方ではまず、ジークムント・フロイドに注目していた。彼の夢研究には僕のかかえる問題に迫る何かがあると直感していたんだ。それは即ち母さん、「正しさ」とは何か。という研究だ。
山根がストップウォッチを止める。
山根 時間だ。
風子 ペンを置いてくれ。
古田はペンを紙の上に置く。風子は古田が今まで熱心に書きなぐっていたその紙を手で寄せると、ペンを握る。
風子 今度は僕が書く。君(古田)は僕が書いている様子を、先ほどの僕のようにじっと眺めていて欲しいんだ。
古田 何かを考えていてもいいのか?
風子 僕から目を離さなければ、考えてもいい。ただ、話しかけるのはやめてくれ。
古田 わかった。
風子 山根。
山根 はじめよう。
山根はストップウォッチを押す。風子は一心不乱に文字を書く。古田はその様子をじっと眺める。
下手にぼんやりと、昇と三日月が蠢くのが見える。
三日月 まだ寝てんの?
昇 んん。
三日月 ねえ、起きてよ。
昇 んんあ……。
三日月 今日、仕事ないの?
昇 ん。(目覚める)
三日月 もう起きなよ。
昇 え?
三日月 なに?
昇 ああ、なんだよ、ああ、もうマジかと思ったよ。
三日月 は?
昇 おまえが死ぬ夢みたよ。
三日月 ははは。
昇 ああ、なんてこった。ずっと寝てたのか?
三日月 朝から数えてだよ、10時間くらいじゃない。
昇 なんだ。たった10時間か。
三日月 たった? 私今日非番だからたまたまいるんだけど、あなたいったい普段何時間寝てるの?
昇 いや、まだ途中だよ。
三日月 え?
昇 いや、生きてて良かった。でも、なんかいい曲聴けたんだよね。続き見ないと。(再び眠ろうとする)
三日月 ビートルズの「Yesterday」かっつの。
昇 ああ、いいね、そんな感じ。
三日月 今日仕事は?
昇 それどころじゃねえって。眠らないと。眠らないと。
三日月 ちょっと。
昇は眠りに入る。三日月は寝ている昇の傍らでしばらく寄り添う。
カール 疑いを持ったのはの12時、僕はフランスの文学に没頭していた。フランスの事など、今や口にするだけで更迭処分ものだが、僕は気にしない。かつてはどの国にも国王がいて、身分の上下というものがはっきりとしていて、その身分が上か下かどうかで、正しさの考え方は定められていた。しかし、革命が起こって、身分が下の人が、自由という正しさを求めるようになった。これは母さん、凄いことなんだよ。政治が変わるっていうことは、常識が変わるってことなんだから。目覚しい変化をひとつ挙げるとするなら、強ければ誰でも勝つことができて、強ければ誰でも、常識を打ち立てることができるということだ。僕の愛する母さんや、母さんの愛する我が国の人間が手と手を取って、敵を倒すことを、正しい。と考えられるようになったんだ。それが一般的だった12の時、総統閣下の演説で沸き立つ群衆の人垣に、いつもと違う色を見た。あの灰色の世界に、赤みが射したように見えたんだ。僕はそれを、まわりの熱狂と同じように、興奮しているだけだと思っていたんだけど、次第に、以前の灰色を懐かしく思うようになってね。ああ、これは、時代が変わった色なんだ。と理解するようになった。つまりね、母さん、誰かが色を変えているということなんだよ。興味が沸かないかい? 誰が色を変えたのか。そして思わないかい? 本当の色は何色なのか。
三日月が喋りだす。
三日月 大学時代はこの人と同じように、音楽に情熱を注ぎながら、医学の勉強に勤しむ毎日だった。インターンが始まって、私が音楽にかまけている時間がなくなっても、この人は日々ギターの練習に明け暮れて、昼夜逆転したような生活を送るようになった。この人の今のバンドのメンバーは、大学時代の良心的な仲間とは一線を画す、いわゆるパンクな人たちで、でも彼は本物のプロの仲間と出逢ったとそう言っていた。はじめは彼が出世するいい機会になると激励したけど、結婚して生活が変わって、伸び悩む彼を置き去りにトントン拍子でグレードを上げた私と彼とは意見が食い違うようになっていった。
三日月は昇の隣で突然バタンと眠り込む。
山根 時間だ。
風子はペンを置く。
古田 意外と疲れるだろう?
風子 敢えて疲れるのも目的のひとつだ。次は、今書いたものじゃなくてもいいから、実際に口で言ってもらう。それも頭で考えず、とにかくなんでもいいから適当に言葉を並べ続けるんだ。立ち上がってくれ。
古田は立ち上がる。
風子 何か言葉をしゃべる時、なるべく様々なパターンで身体を動かして欲しい。こうやって。(なにかジェスチャーをしてみる)でもこれも無心で。だからなるべくでいい。同じような動きでもいいから、とにかく集中力を切らさずに、口と身体を動かして欲しい。うーん、例えばこう、森でクマに遭ってきのこを食べて大きくなったらクマを掴んでぬいぐるみが欲しいから魚を食べる。(身振り手振りしながら)
古田 滅茶苦茶だな。
風子 単語や文節はつながりがなくていい。むしろ何かを繰り返して言うのはよろしくないんだ。
古田 なるほど、逆に難しいな。
風子 最初は小声で、身振りも小さくていい。ゆっくり慣れて行くんだ。
古田 わかった。やってみよう。今さっき書いたようなことが含まれていてもいいんだな?
風子 勿論だ。これも時間を測り、僕が見る。僕と目を合わせてもいいし合わせなくてもいい。
古田は頷くと、ほぼ聞こえないくらいの音量でぼそぼそ何かをしゃべりながら、微かに手足を動かそうとする。
風子 机は邪魔だな。どかそう。山根、手伝ってくれ。
山根 ああ。
古田はいっとき、机が移動するのを眺める。山根と風子が机を上手脇にどける。その拍子にスーホが前に倒れこむ。また、机の後ろにいたアリスが舞台手前に移動する。机を設置し終えた山根が、倒れるスーホを抱え、古田の邪魔にならないように、舞台手前に寝かせる。風子はアルコールランプを手に持ち、古田を照らす。風子は古田に開始の合図を送り、山根がストップウォッチをスタートさせる。古田は再び行動を始める。