【第2回】①(古田a) ―(2) | マイナビブックス

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奇妙な狂ったボウシ Madman Moody Mood 上演台本

【第2回】①(古田a) ―(2)

2016.02.12 | 宇野正玖

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風子が山根を(なだ)めながら、

 

風子   すまない。

古田   いや、こちらこそ、すまないが……。いっそのこと、さっさとしてくれたほうが助かる。自宅のな、家具の数が減った。妻に逃げられたから。時が経てば、強気に生きていくことが出来たかもしれない。明確に殺意があれば、あらゆる言い訳で取り繕えたかもしれない。むしろ青少年のように、これから生きていく道を誰かに聞くことが出来たかもしれない。ただ、もう、呼吸すらも面倒だ。

山根   どうでもいい。

古田   もちろんだ。だから、ひとつ、ひとつだけ聞きに来ただけだ。……正しさとは……なんだ?

風子   山根。銃を下げて。

山根   ……。

風子   お願いだ。

 

山根は銃をしまう。

 

風子   (古田に)古い話をして悪かった。確認したかっただけなんだ。君が、逃げていないかどうか。

古田   電話ひとつでここへ来た。信じてもらいたい。

風子   ただ、正しさとは? とはお門違いだ。罪を犯した償い程度で、君にそんなことを考えられるのは心外だ。僕はただ、君の目に映る、この世界に興味があるだけのこと。君の耳に残る音楽、君の手が触る質感に興味があるだけのことだ。

古田   だが君は、君の家の玄関で君と君の両親に頭を下げる私に、正しさとは何かを聞いた。それ以来、ああ、確かに、私の住む世界の色が変わった。自宅の壁紙の色が()せ、青空の蒼がわからなくなった。夕闇を、恐れるようになった。その理由を、私は、知りたい。

風子   いい兆候だ。

古田   いいものか。

風子   いいのさ。山根、今度は乱暴せず、彼(スーホ)を椅子に座らせて欲しい。

 

山根は無言で立ち上がる。鞄から注射器を取り出して、スーホの腕になにかを注入する。

 

古田   彼をどうするつもりだ? いや、私に、彼を使ってどうするつもりなのか? 正直、怖いな。

 

山根が朦朧としているスーホを担ぎ上げ、テーブルを目指す。

 

風子   怖れてくれ。これは、とても怖ろしいことだ。君は正しさ、というものについて、並々ならぬ興味を抱いてここへ来た。たしかにそう考えている。

古田   そうだ。

風子   君の言う正しさとは、君の罪に見合った良識的なものなのか、それとも常識的に大多数が賛同するより良い何がしかを指すのか、君が求めているものに対して僕は適した考察を論じることはできない。だが、君の考えうるちっぽけな想像が及ばない程に、確固たる正しさというものはある。

古田   それは何だ。

山根   目に見えない、神の声みてえなもんだ。

風子   違う。神などいない。目に見えないものなど、無い。

古田   入信でもしろと? なんでも言ってくれ。

風子   (山根に)君のせいで話が()れた。余計な口は挟まないで欲しい。

山根   はいよ。

 

山根はぐったりしているスーホを椅子に押さえつける。スーホは古田の隣に設置される。

 

古田   大丈夫なのか、こいつは。

山根   自分の心配しろよ。

風子   君(古田)は僕をどう見る?

古田   どうと言うと?

風子   僕の容姿だ。

古田   なかなかだ。

風子   なに?

古田   いや、綺麗だ。

山根   なんか強制してない?

風子   君(古田)が何を言おうかというのは重要じゃない。ただ、結論が早すぎるのはいかがなものか。しかし人間の容姿は複雑過ぎるのは確か。それならこのマグカップなどはどうだ?

古田   質問の意味が見えない。

風子   難しい問題か?

古田   普通のマグカップだ。

風子   普通とはなんだ。

古田   説明は、難しいな。

風子   君は、見た経験の多いものを普通という表現で押し切り、少ないものに良くも悪くも奇妙を感じる。しかしはっきり言おう、君は見ていない。僕の顔も、このカップの外見すらも見てはいないのに判断する。

古田   すまない。それならもう少し詳しく見てみようと思う。

風子   見えない。君には見ることができない。

古田   ……うん、素直に聞くよ。

風子   ありがとう。つまらない話だとは思うが、重要なのでよく聞いて欲しい。人がものを見る時、様々な要因が邪魔をしてくる。まずひとつに目の焦点の問題。どこに視点が置かれるかによって見方が変わるということ。人は、例えばこのマグカップを見る時に、ある一点に焦点を合わせ、全体を判断する。その一点から距離が遠くなったり、複雑な模様であったりした場合には、人は憶測で物事を見る傾向がある。つまりは、一点以外のものをよく見ていないということになる。そして、その中には必ず、全く見えていない点が存在する。これを脳心理学では「盲点(もうてん)」と呼ぶ。いかなるものを凝視しても、または、見る焦点を変えても、その都度、別の盲点が出現して、人はこんなに小さなマグカップですら、しっかりと見ることは出来ない。

古田   はあ。

風子   二つ目の要因は「書き込み」と言われる作業だ。人はこの自覚もなく現れる盲点を本能的に埋めようと務める。それは経験則であったり、いわゆる、集合体の常習的な連続性で判断する。

山根   風子、その言い方難しい。

風子   あ、そうか、すまん。

山根   (碁盤があったので、それをテーブルに出し)ほら、この碁盤みたいな規則正しい模様ってあるだろう。いくつか、そうだな、このくらい(手で囲ってみる)を目でみたら、あとそこ以外は同じ規則で模様が広がるだろうって判断のことだ。「書き込み」の作業っていうのは、はっきり見ていないところをなんとなく、の判断で補おうとする作業なんだ。

古田   ああ、なるほど。

風子   人の「盲点」は、これらの憶測で情報が書き込まれ、埋められる。つまり、物事の全てを見ているように錯覚してしまっているということになるんだ。だからはっきりと言うが、人は全ての物質を正しく見ることができない。

古田   はあ。

風子   彫刻家のアルベルト・ジャコメッティは、これらの盲点を忠実に描写するために、ただ一つの焦点で人物を捉え、脳内の書き込み作業が行ういかなる嘘をも削り取ろうと、その真の写実に生涯を懸けた。つまり、錯覚と、さらに言うなら、幻覚と戦おうとしたんだ。

古田   幻覚。

風子   うん、君が僕の顔を見る時、経験則や、または、心情的なところから判断するが、それらのあいまいな見方は全て、幻覚に捉われていると言える。古田、君に対して僕がしたいこと。それは、とある人物が生涯を掛けて探求した、即ち、幻覚を取り除く方法だ。目で見える世界はおろか、考え方をも曇らせるこの思い込みの現実。それを剥ぎ取り、本当の、正しい世界を見る方法だ。

古田   まるで、オカルトだな。

風子   そう思うのも無理は無い。僕とて半信半疑だ。しかし先人たちの多くが、この方法を実践してきた。

古田   その方法を実践すれば、君の言う「正しさ」というものが?

風子   おそらく。でも実は僕も知らないんだ。

古田   受け売りか。

山根   てめえと検証するためにやらずにいただけだ。そしててめえに拒否する資格はねえ。

古田   わかってる。

風子   僕と君で、知ろうと思っていた。

古田   ああ。ありがたい。

風子   だから、一緒に実践してほしい。いいかな。

古田   なんでも言ってくれ。

風子   ありがとう、では、さっそくはじめよう。

古田   ……。

風子   山根、電気を。

山根   ああ。

 

山根が下手のスイッチを消す。暗転する。

 

古田   ……真っ暗だな。何故明かりを消す。

風子   外には明かりがないから、電気を消すと完全な闇になる。動物でもない限り、目が慣れてもなにも見えないだろう。よく、子供は夜をおそれて、幽霊が出るんじゃないかと怯えたりするが、それは先程話した「盲点」が暗闇の作用で増えることによって不安指数が増大するためだ。実際にいるかどうかじゃなく、そういう気持ちにさせるんだ。でも僕らには、どうせ何も見えやしない。だから安心して欲しい。暗い程盲点は多く、検証にはその方が都合がいい。本来ならこの暗さで実験をしたいところだが、何も見えなければそうもいかないから、山根、ランプが分かるか?

山根   ああ。

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