【第02回】昭和45年(1970) | マイナビブックス

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昭和流行語グラフィティ 第三巻

【第02回】昭和45年(1970)

2016.02.12 | 現代言語セミナー

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昭和45年(1970)

沖縄問題を争点とする第32回衆院選で社会党が大敗し、強い自民党を象徴する佐藤栄作の3度目の内閣がスタートしたこの年、赤軍派による「よど号」ハイジャック事件と、三島由紀夫が自衛隊員に決起を呼びかけ、割腹するという事件が列島を揺るがした。

 

しらける

学園紛争が鎮静化すると、若者たちの間に、何をやっても熱中できない「しらけムード」が広がった。彼らは、人の失敗やつまらない冗談を「しらける」「どっちらけ」の一言で片付け、物事を深く追求したりはしなかった。

 

鼻血ブー

谷岡ヤスジの漫画からの流行語。興奮している時に使う。
ほかに、「全国的にアーサー」「オンドリャー」などが流行った。

 

三無主義

無気力、無関心、無責任のことで、当時の若者たちを表すことばとして、流行した。

 

落ちこぼれ

授業についていけず、勉強の遅れがちな生徒のこと。全国教育研究所連盟の「義務教育改善に関する意見調査」の中で使われたのがはじまり。この頃から、学習塾などの教育産業が急成長を始める。

 

歩行者天国

8月2日の日曜日、東京の銀座・新宿・池袋・浅草の主要道路から一定時間自動車を閉め出し、歩行者が車道も歩道も自由に歩ける「歩行者天国」が出現した。

 

ハヤシもあるでよう

オリエンタルカレーのCMから生まれた流行語。コメディアンの南利明が名古屋弁のアクセントで「ハヤシもあるでよう」とやり、流行した。

 

ビューティフル

富士ZEROXのCM「モーレツからビューティフルへ」から流行したことば。

 

ディスカバージャパン

航空路の発達とモータリゼーションによって赤字の蓄積に苦しんでいた国鉄は10月14日の鉄道記念日に「DISCOVER JAPAN」のマークをつけた列車を品川駅から発車させた。これはアメリカのディスカバー・アメリカを真似たもので、日本のよさ、美しさを再発見しようというキャンペーンの始まりであった。眠っていた蒸気機関車を引っ張り出し、動くパビリオンとして約200日間で2万キロを走らせた。動員数は99万人。キャンペーンの滑り出しは上々だった。
さらにポスターの作製やTV番組などマスコミも最大に利用し、週休2日制の普及という時代の流れに乗って、観光路線の開発に力を入れていった。50年、山口百恵の『いい日旅立ち』のヒットで、ディスカバー・ジャパンのキャンペーンはしめくくられた。

 

ウーマン・リブ

女性の手による女性解放運動をいう。’60年代後半からアメリカを中心に各国で広がり、日本でも45年11月、初めてウーマン・リブ大会が開催。これを機に運動が広がり、「中ピ連」「日本女性党」などが結成され、話題を集めた。

 

水俣病患者が、国と企業を相手にした闘争の旗印に揚げたのが、「怨」という文字であった。

 

ソーレツ社員

’60年代の「モーレツ社員」に対して、’70年代は壮烈の意味で「ソーレツ社員」ということばが流行した。

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