帽子とカツラとヘルメット
読者からのメールが届く。
『着帽はエチケットだと言われましたが、本当ですか?』
結論から言えば、ルールブックのエチケットの項目には着帽などに一言も触れていない。つまり、本当ではないということになる。
ただし、極一部のコースにおいて着帽を義務付けている所はあるので、ローカルなマナーとしては着帽が絶対であるケースもあるといえる(過去に誌面で書いたが、個人的には着帽を強制することには反対)。
着帽信者は、米国のプロは着帽しているではないか! といわれるが、多くは広告契約でスポンサーのロゴを身に付けているに過ぎない(ニクラウスを始め、着帽していない選手もいる)。
帽子には、頭の保護や日射病等の予防、サインの道具(遠くからも脱帽して意志を示すことができる他)として利用価値はある。それが必要な人は多いに利用すれば良い。話は単純である。
英国の貴族は、その昔、髪の毛を直接さらすことを下品であるとする風潮があった。それが、かつらや帽子になったという背景がある。現代においても、裁判官などでかつらの風習は儀式的に残っているようであるが、普通の先進国の日常で、髪の毛を人に見せたくないからと考える人がどのくらいいるのか?
また、帽子の需要についても、天候が変わりやすい風土なので雨が降っても傘を差さずに歩けるようにという伊達者の発想が始まりだという説もある。広い意味でのエチケットだという根拠も希薄である。
何でもかんでも、エチケットとマナーを口にして正当化するのは、オールドゴルファーの悪い癖である。着帽の件についても、特に関西のゴルファーには根強く残っているので、十分に注意して欲しい。それは、個人の自由であると。
オートバイのヘルメット着用義務は保護が目的であると法律家はいうが、自分の身を守る術を法律化する必要があるのか、非常に疑問である。自分の安全は、自分で確保する。事故に遭ったときに、その相手により多くの迷惑が掛からないように法律の整備があればされていれば、それで良いのだと思う。
そんなバイクのヘルメットのような不自由な決め事は、自らが審判であることを魅力の一つに掲げているゴルフには最も相応しくないことであるということが、分からない人は本当に可哀想だと思えてならない。
着帽したくてしている人は、そのプラス要素を満喫すれば、それは素晴らしいことである。いずれにしても、強制される筋合いのものではない。
今年の春に、着帽義務の自ら名門を名乗る卑しいコースに、どうしても行かなければならない予定になっている。行くことは拒否できそうにないので、着帽でプレーすることになりそうだが、精一杯の敬意を込めて、ひさしの上に太陽電池でクルクル回るプロペラが付いた、ど派手な色の帽子をかぶっていくつもりである。
(2001年1月23日)