【第2回】山で会い、山に還る ― ハチとの出会い(2) | マイナビブックス

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愛犬との出会いと、別れ 上巻

【第2回】山で会い、山に還る ― ハチとの出会い(2)

2015.09.25 | 久根淑江

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 この時は私たちは子犬が〝甲斐犬〟であることも何も知らず、翌日は寒波がくるという予報だったので小さな命を救ったつもりでいた。

 ところが、後で聞いた甲斐犬愛護協会の人の話では、甲斐犬の場合、子犬は拾いあげたりせず、その場に放置しておくべきなのだそうだ。その後、飼い主と、親犬、放置された子犬の三者は何日もかけて山の中を探し回るのだという。それなのに、何も知らない我々は天然記念物とも言われる犬を山から持ち去ったと思われても致し方ないような行為をとり、一匹の子犬を死なせずに済んだとみんなでホッとしていたのだ。

 飼ってみて後でわかったが、こんなに小さくても、あのとき寒波がきても枯れ葉の中にもぐり込み生き抜いたに違いない。それほど逞しく、生命力の強い犬のようだった。

 帰りの道中もけっして平穏ではなかった。山歩きを終えて乗ったバスの中で、その日、子犬はやっと水と、餌にありつけた。

 我々の予備の食糧のパンをちぎって与えると、鋭い乳歯で次々、喰らいついた。それまで山の中をうろつき、見つかってからもまる一日、何も食べる機会がなかったようだ。

 みんなで交替で膝の上に乗せて食べさせたが、大丈夫だろうかと気を揉ませるほど小さなくせによく食べた。

 しかし、そうしている間もずっとみんなの注目の的だった。「何歳ぐらいだろう」と年齢を推測されたり、好き好きに名前を命名されたり、足の太さから中型犬になるだろうとか、耳は今は半分垂れているが大きくなればピンと立つだろうとか、あるいは先のほうだけ少し垂れるかもしれない、などなど口々に言い合った。

 問題は、誰が飼い主としてこの子犬を引き取るかであった。

 全員が犬好きで、可愛いと思っていることは確かだったが、リーダーの家にはすでに三匹も犬がいる。飼っているのに他所から貰ったり、拾ってきたりで、これ以上は駄目だと言われているという。涼子のところも番犬が一匹いるので飼えないという。結局、私が引き受けることになってしまった。

 そして命名――。出会った山は高松山だった。宮家の名にもあるし「高松」がよいと言う。しかし、呼んでみると長くて少々呼びにくい。十二月八日、しかも山の標高は八百一メートル。それにちなんで「ハチ」はどうだろう。末広がりでもある。その上、我が家で今まで飼った数ある犬の中で一番長命だったのが九歳の大型犬、この犬の名前がハチであった。これがよいということになった。

 あやかって長生きして欲しかった。呼び名は「ハチ」、改まっては「高松号ハチ」とした。

 

 バスから電車への乗り継ぎ地点でも難所があった。子犬を抱えたままでいると改札口で乗車拒否になった。電車が駄目なら、その日のうちには帰れないかも……そんな不安に見舞われた。現在は重量十キロ以内、縦、横、高さの総計が九十センチ以内なら動物も手荷物として乗車できるが、十数年前のその頃は同乗は許可されていなかった。

 ところが、その時、リーダーの発案で駅前食堂の二階でラーメンでも食べながら休憩しようということになった。休憩している間に必ず改札係の駅員は交替するだろう、そうすれば我々の顔も知られてないから、無事、突破できるだろうというのだ。犬をリュックに入れていても顔を覚えられていては荷物を検査されるから、確かに、そのほうが安全のようだ。

 食休みをしながら二階の窓から駅の改札口の様子を窺った。リーダーの言うとおり、駅員はいつの間にか交替していた。

 最近の登山者は山行の日数などによっては、大、中、小のリュックを使い分けているようだが、私は大は小を兼ねるとばかり、たった一つの古い大きなリュックで間に合わせていた。戦争中や戦後、買い出しのときや、闇物資を入れて背負ったあの形と色の物である。しかし、こんな時は便利で子犬がすっぽり収まった。

 それをリーダーが私に代わって背負った。そして、私がリーダーのやや小さめの赤いリュックを背にした。すると、体格とリュックの大きさ、色合いも釣り合い、かえって本当にそれぞれの所有物らしく見えた。

 こうして私たちは人々の押し合う列の中に紛れ込み、何事もなく改札を通過することができた。

 発車すると、溜め息とともにみんなで笑顔を交わし、リュックを床に降ろした。

 来年の山行きのことを話し合ったりして、しばらくの間は何事もなかった。

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