【第2回】第一章 イスラムは恐くない ―(2) | マイナビブックス

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日本語老教師、イスラムへ往く

【第2回】第一章 イスラムは恐くない ―(2)

2015.01.13 | 半因坊楽庵

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イスラムとのご縁

 

 では、イスラムは、本質的に恐いのだろうか。

 三年間イスラム国に住み、じかにイスラム教徒と接してきたわたしには、そうはおもわれない。

 その理由は――と続ける前に、わたしがどうしてイスラム国に暮らすことになったか、そのいきさつを述べておこう。

 わたしは、石油販売会社で三十年間仕事をした。アブラを売るのはラクかというと、そうでもなく、いつのまにか“勤続疲労”がたまっていた。人生を変えたくなり、五十二歳で早期退職。当時、まだリストラというコトバはなかったが、自分で施す。

 第二の仕事に、日本語教師を選ぶ。愛する日本語を通して、外国人と交流できる――すばらしい仕事とおもった。

 資格を取り、しばらく国内で教えた後、中国に渡る。友人から上海外国語大学培訓部日本語講座を継がないか、と誘われ、引き受けたのだ。

 一九九〇年代後半の中国――学生たちも国全体も、活気と混トンに満ちていた。見るもの聞くもの新鮮で、日本語を教え、暮らしていて興味尽きなかったが、ある時点で切り上げる必要に迫られた。国際交流基金の日本語教育専門家試験が近づいてきたからだ。

 基金は、中曽根首相の発想で発足した、外務省の特殊法人。 “親方日の丸”だから、地位と待遇が抜群によかった。たとえば、月収でいうと、上海外国語大学の給料(約二万円)の数十倍が保証される。

 わたしも人の子、高ステータス、高収入には弱い。

 受験資格にある、「満六十歳未満」と「十分な実地経験」の二項目をギリギリでクリアする、絶妙(?)のタイミングで帰国。

 結論からいうと、幸いにも合格。あとで、八十倍の難関だった、ときいてキモを冷やす。

 希望派遣先を問われ、

「一、中国、二、アジア」

と書いたら、知らせてきたのが、

「パキスタン」

「ん?・・・・パキスタンはアジアの内?」

 恥ずかしいけれど、その程度の知識だった。

 正式国名、パキスタン・イスラム共和国の名どおり、イスラム教徒が国民の九十七パーセントを占める。一九四七年、インドがイギリスから独立した際、ヒンドゥー教徒優位に我慢がならず、イスラム教徒が分離独立してつくった国だから、筋金入り。

 こうして――わたしは、イスラム国に住むことになったのだ。