アメリカテロ事件
アメリカで起こった、九・一一テロ(二〇〇一年)や、ボストンマラソン爆破テロ(二〇一三年)を見て、
「イスラムは恐い!」
と感じた人は少なくないだろう。
日本人でもそうなのだから、身近で体験したアメリカ人は、強烈な恐怖に襲われたにちがいない。
が、だからといって、いきなり、
「イスラム教徒は残虐だ」
「イスラム教徒は、テロ集団だ」
などと決めつけるのは、ちょっと乱暴だろう。
もし日本人が、連合赤軍――少し古いが、日本にもそういうテロ集団がいた――を知った外国人から、
「日本人は恐い」
「日本人は残虐だ」
と言われたらどうだろう。
「冗談じゃない、ごく一部の過激派のシワザを、日本人全体に結びつけられては迷惑シゴク!」
と反論するにちがいない。
イスラム教徒だって、似たような主張をしてもふしぎはあるまい。
「あれは、ごく一部の狂信的な連中がやったこと。わたしたちには関係がない」
だが、アメリカ人は、それを認めるゆとりなど持ち合わせていないようだ。
「イスラム教徒がその信条に基づいてテロをやったのだから、あらゆるイスラム教徒にそういう要因が潜んでいるはず」
そういう論理になる。
九・一一テロ後、国際的イスラム系テロ組織、アルカーイダ(ウサマ・ビン・ラーディン指導)を首謀者と見なし、追及したのは、だから当然だった。
アルカーイダをかくまっている、というので、アフガニスタン(国民の九十九パーセントがイスラム教徒)をテロ支援国家に指定し、“正義”の名のもとに侵攻したのも、その文脈上。のちにウサマ・ビン・ラーディンが犯行声明を出したこともあり、この辺りまではアメリカの正当性を――国際法上の論議はともかく――認めてもよかろう。
だが、アメリカは、その論理をグングン拡大する。
イラク(国民の九十五%がイスラム教徒)を独裁する、サダム・フセインを、ウサマ・ビン・ラーディンと同様の危険人物とみなし、イラクを“悪の枢軸国”と決めつける。大量破壊兵器保有を理由に、国連の決議を得られないまま、いわゆるイラク戦争を決行。結果、サダム・フセインは殺害したものの、カンジンの大量破壊兵器は見つからず、開戦の正当性に疑問が投げられた。
しかし、そのことで、大統領ブッシュをはじめ、アメリカ人の多くが反省したか、というと、そんな様子はまったく見られない。
このように、
「あいつは危険だ、気に食わん」
となれば、国連も国際法も屁(へ)のカッパ、大威張りでやりたいことをやるのがアメリカの本性らしい。
国外でさえそうだから、国内に至っては想像に余りある。
九・一一テロ以降、イスラム教徒に対する扱いは、移民審査、入国管理、その他あらゆる面できびしくなった。その圧迫は相当のものだったろうし、中には、はっきり「差別」といえる扱いもあったときく。
そこへきて、今回のボストンマラソン爆破事件だ。
「それ見ろ、やっぱりイスラムだ!」
犯人と目される人物がロシアからの移民、という意外性はあったものの、チェチェン出身でイスラム教徒、とくれば、“不信の論理”にピタリ当てはまる。アメリカ人は、一層そのイスラム観を固めてしまったにちがいない。
固めることは固めたが・・・・そのイスラムが、そもそもなぜ自分たちに“刃向う”のか、アメリカ人は、実はよく分かっていないのではないか。
「なんだか知らないが、とつぜん狂犬のように噛みついてくる!ワケがわからない・・・・」
戸惑いのほうが強いかもしれない。
しかし、何事にも原因がある。イスラム事件を単に“狂犬病”で片づけたのでは、その本質を見失ってしまうだろう。
わたしは、非常に根が深い、とおもっている。
現象的には、九・一一事件は、過激集団アルカーイダのしわざ、ボストンマラソン事件は、アメリカ社会の冷遇にキレた移民の発作、と片づけることもできよう。だが、その奥深くに、歴史的イスラムの怨念、とでも呼ぶべきものを見逃してはなるまい。
イスラム創生時や十字軍遠征時代までさかのぼらなくても、ここ百年ぐらいで証左は十分だ。
たとえぱ、イスラエル建国やアフガニスタン紛争で、キリスト教国――イギリス、フランス、アメリカ、ロシアなど――がいかにイスラムを翻弄してきたか、あるいは、パレスチナ問題などでイスラムがどう扱われてきたか・・・・加害者側は“力は正義”と割り切っているだろうが、被害者側は怨念を積もらせている。それが、(忘れた側の)思いがけないタイミングと場所で噴出するのだ。
その瞬間、被害者に転じた加害者は、イスラムを悪と断定し、危険視と嫌悪感を募らせる。それが、またイスラムを圧迫する。
不幸な予言になってしまうが――この“負のサイクル”は、半永久的に続くだろう。
あした、又どこかで、なにか大きな事件が起こってもふしぎはないのだ。