はじめに
イスラムときくと、反射的に、ぶきみだ、恐い、と感じる人が多いようだ。あの九・一一テロを筆頭に、イスラム教徒が関わった事件の数々が頭にコビリついているからだろう。
しかし、縁あってイスラム国(パキスタン)に住んだことのある人間にとっては、そういう目でかれらを見てほしくない、とつよく願う。かれらもまた人の子、わたしたちと同じようにご飯を食べ、仕事をし、わらい泣く。ユーモアのセンスだって、ちゃんと持っている。ごくごくふつうの人たちなのだから。
――とは言うものの、「じゃ、イスラムは本当に恐くないのか」と真正面から問われると、「そうだ」とは断言しにくい。矛盾しているようだが、それが本音。そのあたりの微妙なニュアンスをなんとか分かってもらいたい、とおもい、筆をとった。
なにしろ、日本人にとってイスラムは分かりにくい。接触する機会が少ないから仕方がないが、だからといって、知らなくてもよい、ということにはならないだろう。
信徒数がキリスト教に次いで二番目、十数億人と言われる。そんなイスラムを抜きにして、これからの世界は理解できないからだ。
エラそうに言うわたしも、以前はまったく無知。還暦前後の三年間余を、日本語教師としてイスラム圏で過ごした経験から、こうして語ることができる。いわば“皮膚学習”の成果――それをお伝えしたい。
(註)イスラム=イスラム教(回教)、イスラム世界、イスラム教徒全体