【第3回】落ちこぼれの笑い――「よじょう」 | マイナビブックス

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【第3回】落ちこぼれの笑い――「よじょう」

2015.01.08 | おおしま伸

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 板前として庖丁を握り、料理場で働く。九州肥後の下級武家次男坊、岩太はそう願った。他の生活など考えられない、それこそ生き甲斐だった。父の大反対で家を出たものの、情婦たちには愛想を尽かされ、強くもない酒に溺れ、やくざにすらなりきれぬ日々。ひょんなことから剣聖・宮本武蔵に斃された父の通夜の席で、家督を継いだ兄に遂には勘当を申し渡される始末。

 いっそ乞食にでもなってやろう。城下町をはずれた橋近くに乞食小屋を作り不貞腐れていると、どうだろう。知人であるなしを問わず、人びとが入れ替わり岩太を訪れる。鄭重に声を掛け、金品、重箱に入った料理、着物、身の周りの品々と思い思いの贈り物をし、激励までしてゆくようになったではないか。人生はおもしろい、世を拗ねたやさおとこが開き直って世捨て人の生活を始めたところから、別の風が吹き始めるのだから。‥‥それにしても。

 狐につままれた気分で過ごした数日後、はたと気付いて腑に落ちる。身を乞食に落として父の仇・宮本武蔵を討とうとしている、城下の者たちからそう思い込まれているのだ。

 多勢の門下を率い崇拝の対象である宮本武蔵、最晩年の剣聖をしかし岩太は笑う。筋肉質で精悍、心身共に鍛え抜かれた無双の達人を、この武士道落第者だけが笑いとばす。いや落第するような種族だからこそ見切ることができたのかもしれない、権威そのものとなった老人はいわば張り子のトラ、恐れるに値しないと。

 落ちこぼれのラディカリズムとでも言おうか、岩太の笑いに同調し喝采しながら、どこかでやられたと感じる。それは、いつの間にか権威をまつりあげ、おもねることで安逸な眠りを得る側にいる自らを見出すからでもある。硬直した権威を笑う。無批判に現状に安住している者にとって、覚醒を促される挑発であり攻撃であるのだ。

 ひらがな四文字の不思議なタイトルも最後で得心、ここでまたふっと笑いに誘われる。

 

■山本周五郎『大炊介始末』所収 新潮文庫