【第3回】第一章 日本の学校と〈金八先生〉 ―(3) | マイナビブックス

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<金八先生>になってはいけない

【第3回】第一章 日本の学校と〈金八先生〉 ―(3)

2015.01.07 | 林 敏也

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(3)変化する社会、変化する学校環境

 

 しかし、多くの人々が〈金八先生〉を待望しても、なかなかに難しいことも承知しているはずです。

 学校の先生と言っても、一般の会社員と同様、特別な人がなっているわけではありません。専門性はもちろんありますが、医者や弁護士を見る目とは違うでしょう。教師も自分たちと変わらない普通の人だ、とどこかで思っているはずです。

 また、学校を取り巻く環境は、昭和の時代のようなアナログ社会から、デジタル社会へと大きく変容しました。地域での人々の結びつきは薄れ、インターネットによるコミュニケーションが主流になり、個人情報にはきわめて神経質になる中で、子どもたちの生活実態が見えにくくなっています。

 「ネットいじめ」という言葉があるように、外から見えない問題行動も急増しています。加えて、モンスターペアレントという、常識では考えられない無理難題を要求する保護者も増えています。

 こうした社会の変化の中では、ひとりの先生がさまざまな問題について完璧に対応していくのは至難のわざです。

 もうひとつ視点を変えてみますと、見落とされがちですが〈金八先生〉の問題点もなくはありません。〈金八先生〉側に罪はないとは言え、学校内であまり突出して活躍している先生がいると、子どもや保護者がほかの先生と比較をし、その先生と同等のことをほかの先生にも要求してしまうことがあります。

 また、いくらすぐれていても「学級王国」(担任が独自に学級づくりをして閉鎖的になること)のような状況をつくってしまうと、そのよさが広がらず、その学級の子どもたちだけが恩恵を受けるような形になり、周囲に羨望や嫉妬心が生まれます。

 そうなると、先生方のチームワークに支障をきたし、学校全体ではよくない方向に進んでしまうことがあります。〈金八先生〉の取り組みが、さまざまな事情を抱える普通の先生方に広がる、学校全体の取り組みになるとよいのですが、「我が道を行く」になってしまうと、〈金八先生〉自体が孤立することになります。

 加えて、日本の公立学校の場合、最近は特に異動が頻繁になってきています。〈金八先生〉が異動してしまうと、その取り組み自体が消失してしまうこともあります。

 〈金八先生〉が待望できない、あるいは登場してもうまくいかないかもしれない。それではどうすればいいのか。

今の学校の守備範囲を大幅に減らすことがいちばんかもしれません。日本の学校も、フランスのように「校門の外のことは知りません」とすれば、解決するかもしれません。ただ、それでいいのでしょうか。