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新刊案内「将棋界の巨人 大山康晴忍の一手」 ~第1回大山康晴検定~

2016.03.11 | 島田修二

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こんにちは。
グリチルリチン酸ジカリウム1000ミリグラム配合の編集部島田です。

今日も元気に新刊案内いきます。

本日ご紹介するのは、すでに一部で話題になっている「将棋界の巨人 大山康晴忍の一手」です!



本書は、大山先生の将棋人生を一問一答形式の妙手とエピソードで振り返る、という内容で、「大山先生マジ強い」を100回くらい言える本となっております。


と、いうわけで今日は本書に収録されている問題をいくつか出しますので、みなさんに考えていただきたいと思います。題して「第1回大山康晴検定」

いずれも将棋史に残る手ばかりですので、余裕、ですよね?

しかも各問題には「島田の役に立たないヒント」がついておりますので、参考にしてください。


では早速第1問!


第31期名人戦七番勝負より。名人13連覇中の大山先生に24歳の中原先生が挑んだ第2局。名人戦史上に残る受けの妙手です。玉が逃げるしかないんですが、思わず「そこ!?」っていいたくなる一手です。

 

第2問!

第17期十段戦予選決勝より。将棋史上に残る大山マジック。次の一手というか次の3手です。角成を詰めろ逃れの詰めろにする超絶技巧。


第3問!

第5期名将戦より。米長先生の猛攻にあって攻めがほどけそうにありませんが、最強の受けがありました。将棋世界の「イメージと読みの将棋観」でも取り上げられた局面ですね。


第4問!


第50期A級順位戦より。谷川浩司竜王(当時)の攻めを切らして形勢は先手はっきり良し。龍も成銀もひっぱってきて、もうガチガチです。▲4二金と攻めても勝てるところですが、「そこまでやるの?」という手が出ます。

 

以上です。

第1回大山康晴検定、どうでしたか?

こんなの常識だわ、余裕で全部解けたわ、という方はsoft@mynavi.jpまでお送りください。第2問は3手お願いします。

私から「永世大山康晴」の称号をお送りします。


本書にはこういう問題が100問以上収録されています。
みなさんも「すげーなぁ」と思いながら大山先生の妙手を味わっていただければと思います。

解説ページでは手の説明もいいですが、当時の時代背景やエピソードの部分が面白いので、そっちもぜひ読んでほしいです。


一部抜粋してみます。


◇6歳で将棋を覚える
 大山家は父の?さんが転々と職業を変え、決して楽な暮らしぶりではなかったが、康晴が生まれた頃には生家がイ草業を営みながら輸出花筵組合の事務所となり、?氏も経営に加わったことで比較的安定した生活を送っていた。当時、大山家の2軒隣の自転車屋の店先が縁台将棋のたまり場になっていた。康晴は仲良しの友達と縁台将棋を見ているうちに自然に指し方を覚えてしまう。西阿知小学校に入った6歳の頃だ。


◇独走時代
 昭和30年代の後半から昭和40年代の前半にかけては大山の完全な独走時代になった。「10年くらいはいつも同じ状態だった。対局中心であとは寝たいときに寝、パチンコをしたくなればパチンコをした……七番勝負がだぶるようなことがあると、どうしても1、2局の方より5、6局の方を中心に考えた。1、2局に負けても最終的には勝っていた。
 昭和39年に東京オリンピックがあり新幹線が誕生した。日本の社会がめまぐるしく変わった頃、私は絶好調だった。優勝してトロフィーとかカップを持って帰ると、息子たちが『どんなの?』と聞く。私は『いつもと同じ』と答えて、それでおしまいだった」(名人の譜)


◇偉業を遂げて逝く
大山の復活はまさに奇跡的だった。2度目のがんの手術をした69歳の老人が、復帰後のA級順位戦でなんと3連勝して名人挑戦者を争うプレーオフに勝ち進んだのだ。このとき破った相手が当時の高橋道雄九段、米長邦雄九段、谷川浩司竜王。それは信じられない偉業であり、恐るべき勝負に対する執念であった。だが、前回のがんと違い2度目のがんは確実に大山の体をむしばんでいた。

本書の発売は3月15日(火)です。
PDF版の購入をお考えの方は本日から予約が始まっておりますので、ぜひご利用ください。
https://book.mynavi.jp/ec/products/detail/id=51506

それではみなさん、今週もよい週末将棋ライフを!!

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